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伊予市誌

四、立正佼成会

 立正佼成会は、一九三八(昭和一三)年に庭野鹿蔵(日敬)と長沼マサ(妙佼)が創立した法華系の新宗教で、大日本立正交成会といった。一九四八(昭和二三)年立正交成会と改称し、更に一九六〇(昭和三五)年立正佼成会と改めた。本部は東京都杉並区和田二丁目にあり、国内二二二教会、海外に六教会をもち現在数百万にも及ぶ会員をもつ、在家仏教団である。
 本尊は釈迦牟尼世尊で、法華三部経をより所とする教典とし、自己の人格完成とともに他人を教化して、理想の仏国土の実現を目ざしている。このため釈迦の教えを中心とした語り合いの場「法座」を修業の中心とし、国内的には人間性の回復を目ざす精神運動として、「明るい社会づくり」の運動を展開し、地域の市民活動と連帯、また国際的には諸宗教の協力によって世界の平和を実現するため、世界宗者平和会議を推進している。また布教活動の一環として「佼成新聞」・「佼成」・「躍進」などの機関紙誌を発行している。

 立正佼成会伊予支部
 当市では一九五一(昭和二六)年ごろ、湊町出身で東京在住の加藤かよが実妹を入会させたのがはじめで、当時信者はわずか四~五人であったが、その後毎月本部から幹部の者が来て、熱心に入会をすすめ三〇人位の信者が集まるようになった。一九五六(昭和三一)年には灘町本通りに伊予連絡所ができ、一九六〇(昭和三五)年松山支部が発足して伊予市はその第三法座と名づけられた。一九六六(昭和四一)年に灘町東四一の九番地へ、一九九六(平成八)年に米湊大角蔵一四八三の三番地の現在地に移った。信者も約三〇〇人に増加した。一九六七(昭和四二)年松山支部が松山教会と改称され、伊予市は立正佼成会伊予支部と改称された。現支部長は城戸理江で信者は市内と松前町・双海町・中山町にわたり約九〇〇人に達している。
 支部の行事として、教会御命日(毎月一日)・虚空蔵菩薩御命日(毎月五日)・支部御命日(毎月七日)・七面大明神御命日(毎月一四日)・釈迦牟尼仏御命日(毎月一五日)・八幡大菩薩御命日(毎月二八日)などがある。このほか明るい社会づくり運動の一環として各種の奉仕作業や家庭教育講座などの事業を行っている。