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伊予市誌

第四章 年中行事

  1 日待講といって正月七日(又は二三日)に組中が集まり、神官または僧侶を迎えて日の神をまつる。
  2 家祈祷といって不幸のあったとき、神官を招いて家内をはらい清める。
  3 正月の山草のお飾りを十五日に燃やし、その灰で餅をやいて食べると元気になる。
  4 節分にまいた豆をふむと、足に底豆ができる。
  5 たのもさんといい、家族の人数だけ紙人形をつくって健康を祈る。
  6 巳午の日に餅をつき、お墓にもって行って焼き、包丁にさしてたべる、そのため、その日についた餅を焼くことをきらう。

 正月の行事
 一月一日、正月の神をまつる行事は、以前は相当おごそかなものであった。元日より三日間は一家の主人が早く起きて若水を汲み、雑煮を炊き、神々に供える。そのころから妻や子供も起き、一家揃って煮豆・数の子・魚を揃えてお屠蘇をいただいた後、雑煮をたべたが、近年は大分変わってきた。それでも正月の神まつりだけは、おごそかな気分で行っているようである。それから恵方詣りとか氏神詣りをしたものであった。
 正月二日、鍬ぞめといって、土に鍬を三くわ打ちこみ輪飾りを少し出して埋め、御幣を供え、たつくり・みかん・串柿を供えて、その年の豊作と鍬によってけがをしないように祈る。そのとき、元日にいただいたお米を「おさんぼうさんのお米」といって土に供える。このお米は苗代播種のときと、田植え終丁後に供え、これがすんでから炊いて家内の者がいただくことになっていた。
 正月四日、仕事はじめ、家のまわりのお飾りをおろし、神棚の供えものをおろし、雑煮をたべ、仕事はじめとして午後は休む。
 正月七日、七日節句、青菜を入れて雑煮をたき神をまつり、夕方早くなずな湯をわかして入浴する。地域によって異なるが、お伊勢講、日待祈祷などを行っている。集まる場所などは話し合いで決められ、その家に集まる。一戸必ず一人は出席しなくてはならない。まず話し合いで買い物をして食事の用意をし、神官(僧侶の御祈祷も同じ要領で、特別に大般若経をかついで村中をまわる)からお札をいただき、当番の家でついたお餅とお札・お酒・肴などを当番の家の神棚に供え、天照大神、氏神をまつり、神官とともに、家内安全、組中安全、五穀豊穣を祈念する。その後、今年度の会計報告、地域の伝達事項の発表、組内の事業について協議をし、申し合わせをしながら酒肴、飯などを出す。このとき決定したことはすべて守らなければならないことになっている。
 次に上野玉井家にある、古いしきたりを掲げると次のようである。

                天保十四年癸卯十二月ヨリ
       当家萬仕成向心覚 
                宝来山 玉井友信産所

十二月十三日 すすはらひ
 一、今日すすはきの事
     昼はだんごじる
      麦はん
     夕は米飯
      菜見合にて、ふき・大根にかつおつけ位、壱菜尤酒なし

 節分
 当日常の如く夕方大豆見合にて四五合いらしおり候を女にいろはし不申、男にいらせ、間毎間毎撒かせ、次に天神社に詣で下屋敷東うらもつぼの内も外もなり木々迄不残撒くこと、屋神様仏様へ備へ候こと、
 夕は白飯菜見合にて壱菜無酒
十二月見合にて仁王経相頼み本願寺法印迎う事、尤上の部屋の床へ机に水仙ろうそく御供相備候事、御酒も備える事、
一、見合にて一菜と酒を出すこと、肴は湯どうふ、ひたしもの位見合にて二つ程、御布施入不申候事、
十二月二十五日
 今日かざりのべ
  昼 平常の通り
  晩 白飯 茶づけ
    尤米かし
同 二十七日 もちつき
  賄向 常の通り
同 二十八日 かざりはり
  賄向 常の通り