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伊予市誌

一四、森の扶桑木 (森)

 ずっと昔の大昔、森の大谷海岸近くのかつらが谷に、ものすごく大きな扶桑木がはえていた。その梢は大空をおおいかくし、根は山や谷にまたがって伸びていた。この木の影は、朝日が出るとき、筑紫の国(福岡県)まで伸び、入り日のとき、遠く東の陸奥の辺り(東北地方)まで伸びていたという。このため筑紫の国では、草木や作物の育ちが悪くなったので、この国の人びとが困って、この木を切り倒してくれと頼んできた。そこで森の人は仕方なく切り倒すことにして、筑紫の方からも大勢の人に来てもらい総がかりで、数十日かかってやっと切り倒した。この木は筑紫の方に倒れたので、船で来た筑紫の人びとは、その木の上を渡って帰ったという。
 それから何万年かたって、この木の幹や枝、根はいつしか石炭のような埋れ木になってきた。明治・大正の時代のころまでは、これらを掘り出して、つやつやと黒光りのするきれいな細工物などにしていた。今ではこの埋れ木は海岸にはほとんどなくなってしまった。しかし、海底にはまだかなりあるといわれている。
 この木は、その後、植物学者などの研究によってスギ科メタセコイアなどであろうということがわかった。ずっと大昔は、この地球をおおうばかりに繁茂していたといわれるこのメタセコイアも絶滅を伝えられていた。ところが近年になって、アメリカの学者が中国四川省の谷間に、まだ残っていたのを見つけてアメリカに持ち帰り、栽培に成功したので、これが今では世界各地に植えられるようになった。伊予市では、大昔に繁茂していたというメタセコイアを「市の木」に指定し、市民から親しまれるようになった。