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伊予市誌

三三、町永の加助とカー公 (下三谷)

 文化・文政のころというから、今から百七、八十年前のこと、だいぶん暖かくなった三月末の昼下がり、下三谷の氏神埜中神社の拝殿に、ここら辺りでは、ついぞ見かけたことのない老人が、腰を下ろして休んでいた。なんだか疲れきっているように見える。これを見た神主が、キセルでタバコを吸いながら近づいていった。
「旅の方、参拝とは、よい心がけです。」
と、声をかけて、
「して、おじいさんは、どちらからお出でかな。」
「へえ、土佐から来たもんです。」
と、返事をしながらこの老人は、風呂敷を広げて箱を取り出した。
「神主さま、失礼じゃが、そのおキセルが、それでは……、ここにいいもんを持っとります。お直ししましょう。」
と、神主からキセルを受け取ると、箱の中の上等なラオ竹(キセルの火皿と吸口とをつなぐ竹のくだ)を取り出して、器用にとり替えた。そして、とくさで磨きをかけると、見ちがえるような立派なキセルになった。神主がそのキセルで一服してみると、よく通ってまことに工合がいい。
「これは有難い。おじいさんは、こんなよい手職を持っとるのに、どうして伊予くんだりまでお越しかな。」
と、言うと、
「いごっそう(頑固者)でしてなあ。」
と、答えたので、二人は笑いこけたという。
 神主は、殊の外、この老人が気にいり、ちょうど村に小さな空家があったので、住まわせることにした。老人は名を加助といい、性質が気さくで、自分のキセル直しの仕事の合い間には、近所の百姓の忙しいときなど気楽に手伝ってくれるので、村人たちはたいへん重宝がって、親しむようになった。
 あるとき、加助は埜中神社の大きな笠松の下で、生まれたばかりのからすの子が、巣から落ちてもがいているのを見つけた。走りよってすくい上げてみると、かわいそうに足を痛めている。加助は手拭でつつんで、
「神様、このからすの子は、笠松の上で生まれた氏子です。けがしています。どうか早く治してやってください。」
と、何べんも拝んだ。そのおかげか、加助のやさしい介抱で、がらすの子は見る見るうちに元気になった。そこで、これにカー公という名をつけ、神様からの授かりものだとかわいがって育てた。
 やがて、大きくなったこのカー公は、たいへん利口で、加助によくなついて、言うこともよくわかるようになった。そこで、言葉も言えるようにしてやろうと、根気よく教えていくうちに、それも言えるようになった。「お早よう。」「こんにちは。」「さようなら。」「だんだあん。」など、一〇以上も覚えた。それを聞いた村人たちは見に来ては、ただ感心するばかりであった。
 カー公は、加助のキセル直しの仕事を手伝って、「こんにちは。」「だんだん。」など言ってくれるばかりではなかった。秋が来て、田畑に稲や粟などが実って、群雀が飛んでくるころになると、その群れを大声で追払ってくれるのも、このカー公の役目であった。また、村人たちが田畑の仕事を済ませて、時に鍬など忘れて帰って行くときには、「クワックワ。」と鳴いて教えてくれるのもカー公だった。こうしてカー公と加助は、村の人々と仲よく楽しく過ごしたという。