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伊予市誌

三八、神様のいた行道山 (上野)

 伊予市上野の谷の奥から草田池のある辺りまで、約八〇〇㍍ごとに、大きな石が、一筋に並んで立っている。これは昔、力の強い二人の神様が、上野の雨乞い山ともいわれる行道山の頂上に登って、毎日のように朝・昼・晩と三回、大石の投げくらべをして遊んだ石だという。この石は、村人たちが神の遊び石、神のお手玉石と呼んで、誰もこの石をとってはいけないと伝えているので、今でも昔のままに残っている。
 また、村人たちは、この神を大人と呼び、この大人の腰掛石という石が頂上に残っている。なお、この山の頂上には、たくさんの老松が茂っていたが、これも神の木と呼び、人びとはこれを切らないので、遠くどこからでも、この美しい森を見ることができた。
 昔の村の人たちは、この山の頂にかかる雲や、霧の様子を見て、これからの天気を見分けたという。たとえば、山にかかる雲が、道後の湯の方へ流れていれば、もう雨が近いと言い合ったのである。
 この行道山には、天狗が住んでいたといわれている。松山市の御幸寺山にも、行道山の天狗と仲のよい天狗がいて、行道山から御幸寺山に至る直線コースは、天狗の通り道と呼ばれ、この天狗たちが、空を飛んで往来していたという。そこで、この通り道の下には、家を建ててはいけない。もし建てようものなら、天狗が下駄でけ飛ばして通るから、家はすぐ倒れてしまうと信じられていた。それで昔は、上野の行道山から、徳丸・松山へとかけて、天狗の通り道、幅一〇〇㍍ぐらいの間は、ずっと一軒の家も建てられていなかったという。いや、一軒だけ、これを笑って建てた家があったというが、この家はまもなく、落ちぶれてしまったと伝えられている。