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伊予市誌

二、石造美術

 伊予市古代巨石 
 大平字梶畑にあり、古代人は日の神(火の神)として祭って信仰してきたものである。
 巨石は、三つに分かれ、「ドルメン」は長さ三・四〇m、横幅二・三〇m、高さ〇・八〇m、重さ約二〇トン(約四、九三六貫)の巨大なものである。「メンヒル」は長さ三・八〇m、横幅一・八五m、高さ〇・七〇m、重さは約一八トン(約四、四七六貫)あり、これも巨大なものである。「ストンサークル」は長さ二・九〇m、横幅・高さとも測定ができない。これは、ほとんどが土で埋没している。
 「メンヒル」には石造美術として、古代人の手による加工のこん跡がみられる(第246図参照)。

 石器 
 宮の下行道山から発掘されたものの中に、石臼・石斧・そのほか古代人が生活するための用具としていたものがある。

 石造層塔 
 大平字曽根にあり、玉井ミチル所有のものである。地面からの高さは、三・三mあり、第247図に示すような五十の層塔で、材料はぎょうかい岩である。造立当時は七重の層塔であったと思われる。
 胴石四面には雄こんな筆文字で、金胎両部の種子梵字・弥陀三尊・釈迦三尊はじめ計一二の梵字が刻まれている(第248図参照)。
 更に胴石の裏面には造立年記銘が「建治三年(一二七七)丁丑八(以下欠)」とあり、鎌倉時代の遺品である。一九五五(昭和三〇)年一一月四日、県指定文化財となった。

 森山大膳供養塔 
 下唐川馬場にあり、大森フデ子所有である。この五輪塔は安山岩で、高さ二・一四mあり、火輪の部分はやや小さい感もあるが、室町時代の堂々たるものである。地元の人は森山大膳の供養塔として、毎年幟を立てて祭っている。
 五輪塔とならんで、一・五mの宝篋印塔がある。相輪は七輪、露盤は七段、格狭間三面、玉善寺型で元和期(一六一五~一六二四)のものと思われる。一九八四(昭和五九)年一二月二六日市指定文化財となった。

 大道寺の石地蔵 
 市場にあって、武田清所有である。鎌倉時代中期のものと思われる。一石一尊・安山岩でつくられた地蔵尊である。高さは八九㎝、像の高さ七三㎝、幅五六㎝の坐像である。手法は厚肉彫りで手は衣のうちで印を結び、真言引導の型である。単弁のれんげ台上に坐って、めい想の形をとっている。後背は頭光、身光を巧みに薄肉の手法で表した立派な石仏である。一九六〇(昭和三五)年八月一日、伊予市の文化財に指定された(第249図参照)。

 五重層塔 
 宮ノ下長泉寺の橘家墓所に第251図に示すような石造五重層塔がある。ぎょうかい岩で作られ、高さは二・五〇m、軸部には雄こんな梵字で「カン・マン」が刻まれている。右側には「文(少し欠除)永二年十一月」とある。一二六五(文永二)年といえば、蒙古襲来が一二七四(文永一一)年であるところから、知名や場所から考えて鎌倉時代の蒙古襲来時にあたり、国難救護の印塔ではないか。石造美術として、伊予市にとっては貴重な遺物である。

第248図 石造層塔の見取図

第248図 石造層塔の見取図


第250図 五重塔位置見取図

第250図 五重塔位置見取図