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伊予市誌

2 旧石器時代の遺跡と遺物

 伊予市内で現在までに旧石器時代の石器が発見されている場所は九か所あり、そのほとんどが重信川や森川の形成した洪積台地や丘陵上からの発見である。これらのうち、石器や石器を製作する際に出る剥片が出土し、人々がほぼ確実に生活していたとみられるのが三秋新池や、稲荷征露池から八幡池にかけての丘陵一帯、上三谷岩崎池周辺である。
 他のケリヤ、猿ケ谷、平松などは、石器が一点しか出土していないので、現段階では遺跡と断定することは無理である。しかし、これから見て伊予市南部の山麓台地上は、このころの人々の生活の舞台となっていたことはほぼ間違いなかろう。以下、現在までに発見されている遺跡、遺物について簡単に触れてみたい。

 (1) 三秋新池遺跡(三秋新池西)
 一九九五(平成七)年から九七年にかけて調査が行われて明らかとなった遺跡であり、ナイフ形石器、角錐状石器、削器、石核や剥片が出土している。しかし、当時の生活の跡を示すような住居跡などの遺構は発見されていない。石器の大半は赤色珪質岩で、わずかにチャートと頁岩を使用しており、同じ伊予市内でも、他地域とは大きな違いを見せ、石器の素材からみる限りでは肱川流域との結びつきが強いが、伊予市中部出土の石器と比較すると、時期的にはやや新しい石器のようである。

 (2) 征露池遺跡(稲荷征露池)
 梢川上流左岸の洪積台地上に分布する遺跡であり、石器は征露池と八幡池、それに二つの池に挟まれた台地上からも発見されているので、これらは比較的広範囲な一つの遺跡とするのが妥当であろう。台地の南北は溜め池構築により大きく削平されたため、地下深くに眠っていた石器が池畔に姿を見せたものであろう。この周辺一体は弥生遺跡や古墳群と重複しており、伊予市内でも、特に遺跡が集中する地区の一つとなっている。
 本遺跡は未調査であるが、表面採集によってナイフ形石器、抉りのある石器、尖頭器状石器、角錐状石器、削器、握り石鍬状石器などを確認している。旧石器だけではなく、縄文草創期の石鏃も一点出土しているようである。ナイフ形石器などはすべて香川県産のサヌカイトであり、外に赤色珪質岩と青緑色チャートがそれぞれ一点ずつ出土している。
 石器の石質では三秋新池とは大きな違いがある。本遺跡出土のナイフ形石器は、伊予市内では岩崎池出土のものとともに最も古い形態を示している。現段階の征露池遺跡は、後期旧石器時代と縄文時代草創期の重複する遺跡であるといえる。

 (3) 岩崎池遺跡(上三谷岩崎池)
 岩崎池一帯は旧石器時代と縄文、弥生、古墳時代の重複する遺跡である。旧石器時代の遺物は、南部の浸食中の崖面から出土したもので、縄文~古墳時代の遺跡とは若干離れている。ナイフ形石器と剥片が数点出土したことから、遺跡と見てほぼ間違いなく、遺跡の中心は池南部の水田中に残存しているようである。
 石器はナイフ形石器であるが、うち二点は一部が破損している。石質は三点ともサヌカイトであり、征露池出土と同じ時期のものではなかろうか。

 (4) その他の石器出土地
 前記以外に旧石器が出土した場所が何か所か存在する。上三谷平松遺跡の弥生遺跡の調査で、サヌカイトの細石核が一点出土しているといわれているが、その結論は保留しておきたい。猿ケ谷二号墳の墳丘上から、翼状剥片を素材とした大型のナイフ状石器が出土している。調査前にも多くのサヌカイトの剥片が散見され、調査によっても一〇数点のサヌカイトの石器が出土したが、本石器は剥離手法が異なっている。なお、猿ケ谷二号墳の基盤面上には、弥生中期後半の遺跡があるので、これらもあわせて将来検討すべきであろう。
 下三谷ケリヤ遺跡の調査でも、玻璃質安山岩の角錐状石器と台形状石器が出土しているが、平松遺跡同様、将来検討しなければならない石器の一つである。


第48図 三秋新池出土のナイフ形・角錐状石器

第48図 三秋新池出土のナイフ形・角錐状石器


第50図 稲荷征露池出土の各種石器

第50図 稲荷征露池出土の各種石器


第51図 岩崎池南部出土のナイフ形石器他

第51図 岩崎池南部出土のナイフ形石器他


第52図 猿ヶ谷古墳出土のナイフ形石器

第52図 猿ヶ谷古墳出土のナイフ形石器