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伊予市誌

8 新市の合併

 市町村合併への動き
 近年の地方分権の推進や少子・高齢化の進展、国・地方を通じる財政の著しい悪化など市町村行政をとりまく情勢が大きく変化している中にあって、市町村の行政サービスを維持し、向上させ、また、行政としての規模の拡大や効率化を図るという観点から、国において市町村合併を推進することが決定し、これを受け愛媛県は二〇〇一(平成一三)年二月愛媛県市町村合併推進要綱を策定した。その中で伊予市に関しては、松前町・砥部町・広田村・中山町・双海町との一市四町一村の基本パターンと、参考パターンとして松前町・双海町との一市二町の合併パターンが示された。
 二〇〇〇(平成一二)年一一月から職員による伊予市合併問題研究会を設置し、二〇〇一(平成一三)年五月市町村合併調査・研究報告書を作成。また、市議会においても同年三月に市町村合併問題調査特別委員会を設置し、伊予市・伊予郡の合併について調査研究を開始した。
 二〇〇二(平成一四)年三月一日第一回首長・議長伊予郡市合併懇談会で伊予市・伊予郡の事前協議を開始した。
 同年四月一日企画人事課に市町村合併推進係を設置した。
 同月二日第二回首長・議長伊予郡市合併懇談会を開催した(砥部町欠席)。
 同月八日から五月二四日まで市内二二箇所において四役・関係課長が出席し、市民に対して市町村合併地域懇談会を実施して合併の概要説明を行い、意見交換し、意向調査を実施した。
 同年六月三日第三回首長・議長伊予郡市合併懇談会を開催(砥部町長欠席)。
 同年六月から七月にかけ有権者一、〇〇〇人を無作為に抽出し、アンケート調査を行い五二八人から回答を得た。結果、合併の是非については、必要だとする意見が大勢を占め、合併パターンは、基本パターン(伊予市・伊予郡)を望む意見が最多数であった。
 同年八月五日市長を本部長に伊予市市町村合併推進本部を設置。
 同年九月六日第四回首長・議長伊予郡市合併懇談会を開催するが砥部町・広田村欠席により、第一回伊予地区(一市三町)合併懇談会と改称し、一市三町(伊予市・松前町・双海町・中山町)の合併に向け事前協議を開始した。
 市議会においても同月一三日市町村合併問題調査特別委員会を解散し、市町村合併対策特別委員会を設置する。

 一市三町の合併協議会
 二〇〇二(平成一四)年一二月二七日に開催された第五回の合併懇談会において伊予地区(一市三町)任意協議会の規約及び設置日程が確認され、会長に中村佑伊予市長と決まる。
 二〇〇三(平成一五)年一月一四日に四首長が協議書に署名し、任意の伊予地区(伊予市・松前町・双海町・中山町)合併協議会が設立された。同年二月五日第一回伊予地区合併協議会が開催され合併に関する協議が始まる。同月一三日に開催された第二回の協議会において、対等合併及び合併の期日を二〇〇五(平成一七)年一月一日とすることが確認される。
 二〇〇三(平成一五)年六月二七日市議会で七月一〇日付け法定協議会設置について可決される。同年七月一〇日開催の第七回合併協議会において任意の伊予地区合併協議会を解散し、同日法定協議会の第一回会議を開催する。
 その後、協議会、幹事会、専門部会、分科会等で協議を重ねたが、各市町のまちづくり方針に考え方の違いがあり、調整に努めるもその溝は埋まらず、調整案の作成は難航した。
 同年一二月一七日市議会市町村合併対策特別委員会で合併協議会からの脱退を賛成多数で決める。同月一九日一二月議会最終日に合併対策特別委員会委員長の報告を受け、市長が協議会からの脱退の議案を議会に提出し、全会一致で採択される。
 脱退の理由について中村佑市長は、「原因は、生活圏、気質、価値観、合併への期待と懸念など、地域間の基本的な考えの相違と、これまでの協議をとおしてもなお築くことのできない信頼関係にあります。これら地域間の溝は、協議事項が具体的になればなるほど深まり、その解消は容易にできるものではありません。仮に、これを譲り合いの名のもとにあいまいにし、問題を解決することなく先送りして協議を進めましても、合併後にはその問題が再燃し、調整で混乱するのみならず、必ずや市民の皆さんに長く不利益をもたらすことになるでしょう。そこで、これまでの協議経過を踏まえまして、新たなまちづくりとしてふさわしい組み合わせで合併をやりとげることが、今後の私の使命であると考えております」と述べるとともに、二〇〇四(平成一六)年一月号の広報『いよし』で広く市民に訴えた。
 二〇〇三(平成一五)年一二月二六日第七回合併協議会において、脱退の報告をする。
 同月二三日JAえひめ中央南伊予支所、二八日中村地区公民館、二〇〇四(平成一六)年一月六日市民会館、七日大平地区公民館と四校区で市四役、正副議長、関係議員及び関係課長が出席し、市町村合併市民説明会を開催し、伊予地区合併協議会からの脱退の経緯を市民に説明した。
 同月六~八日に実施した電話アンケート調査の結果、伊予市の脱退について賛成四三・三三%、反対二六・八六%であり、合併の組み合わせについては、伊予市・双海町・中山町の合併を望む意見が多かった。
 同年三月三日開催の第八回合併協議会において伊予地区合併協議会を三月三一日付けで解散する署名をした。

 一市二町の合併協議会
 伊予市の脱退の後、同年一月七日中山町でも臨時議会が招集され伊予地区合併協議会からの脱退を議決。双海町では、同日町議会合併対策特別委員会が開催され、一市二町(伊予市・中山町・双海町)の合併を進める決定をした。伊予市においても同月八日市議会市町村合併対策特別委員会で一市二町合併を決定。同日一市二町の首長が協議書に署名し、任意の伊予市・中山町・双海町合併協議会を設置した。同年二月二日に第一回の合併協議会を開催し、対等合併及び合併期日を二〇〇五(平成一七)年三月三一日以前とすることを確認した。
 二〇〇四(平成一六)年三月三日~九日の間、市内六か所で、新市のまちづくり構想の広報を目的に、伊予市・中山町・双海町合併構想説明会を開催した。
 同月二九日に開催された市議会臨時議会において、伊予市・中山町・双海町合併協議会が四月一日に法定協議会として設置する議決を受ける。他の二町についても同日法定協議会設置の議決がされ、四月一日に法定の伊予市・中山町・双海町合併協議会が発足した。
 以降、新市の主たる事務所の位置を現伊予市庁舎とすること、新市の名称を「伊予市」とすること、合併期日を二〇〇五(平成一七)年四月一日とすること及び新市建設計画など合併協定二二項目が確認され、二〇〇四(平成一六)年一〇月二八日合併協定書の調印、翌二九日三市町の議決を経て、一一月九日に愛媛県知事に対し配置分合(合併)申請を行った。