データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

伊予市誌

1 衛生組合

 明治一〇~二〇年代のコレラ大流行がきっかけとなり、各地に住民の衛生自治として衛生組合が発足した。伝染病予防法(明治三〇年四月)が公布されるとともに漸次全国的に普及した。
 衛生組合は、大正から昭和時代にかけて大いに普及し、役所の行う伝染病発生時の防疫作業に協力し、あるいは衛生思想の向上を図るなど幾多の貢献をしたが、その半面、衛生自治活動の範囲にとどまらないで、当時町村が行うべき行政の仕事の分野にまで深入りし、もっぱら上意下達のための役所の下部組織と考えられたため、ポツダム政令により、町村会・部落会に類するものとして一九四八(昭和二三)年八月三一日解散を命ぜられた。『郡中町郷土誌』によると、「明治三三年二月二八日県令第四九号により郡中大字灘町及大字湊町間に衛生組合の規約設置の儀願いあり、三月二〇日許可せられる」とある。