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伊予市誌

2 結核

 我が国の結核対策は、一八八九(明治二二)年に最初の結核療養所が設立されたのを始まりとし、一九〇四(明治三七)年には「結核予防ニ関スル件」が公布、法律としては、一九一九(大正八)年に施行された。これが第二次世界大戦前・戦中の結核予防の基本となった。戦後、一九五一(昭和二六)年現行の結核予防法が制定された。伝染の防止に重点が置かれていた旧法に比し、新法にあっては、BCG接種による発病防止、患者の早期発見のための新しい診断法の導入、そして、結核の早期絶滅に向けての新しい治療法など、根本的な法整備となった。
 全国的な結核感染状況とは異なり、幸いにも本市の場合、気候風土にも恵まれ、結核の発生は少なかった。新結核予防法の制定以後一般住民の結核集団検診が実施されることになり、当初の受診率は一五%程度(推定)であったが、結核予防対策の進展に伴って一九六五(昭和四〇)年代には受診率も七〇%台に達した。また、計画的な結核検診の対策確立のため、検診台帳を整備し対象者を正確に把握するなど検診の合理化を図ることとあわせ患者管理指導を保健所の協力のもとで行ってきた。これらの施策を推進することにより、更には一九五七(昭和三二)年からの健康診断・ツベルクリン反応検査・予防接種に要する費用の全額公費負担の導入、また、医療の進歩もあって結核の発生は確実に減少した。本市の場合、一九七〇(昭和四五)年には人口一万人に対し一一人となり、以後、県及び全国平均をはるかに下回る状態を維持している。
 一九九九(平成一一)年、全国的な結核罹患率や新規登録患者の増加により、「結核緊急事態宣言」が国においてなされたことを受け、高齢者の感染防止のため検診の受診勧奨や日常生活における予防など多方面からの健康教育に取り組んでいる。二〇〇三(平成一五)年結核の罹患率は、高齢化や地域格差はあるものの全体として若年者では低下していることで学校保健としては結核対策が見直され、小・中学校でのツベルクリン反応検査・BCG接種が廃止された。