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伊予市誌

4 廃棄物 (清掃事業)

 廃棄物は経済社会活動の結果生ずる所産であり、これを市民の周辺からすみやかに除去するとともに、生活環境を清潔で快適な状態に保ち、環境汚染から守るために最も重要な役割を果たすのが、廃棄物の処理である。旧清掃法にかわって、廃棄物の処理及び清掃に関する法律が、一九七一(昭和四六)年九月から施行され、その後時代とともに内容が整備され現在に至っている。
 一般廃棄物(一般の家庭や事業所から排出されるごみ及びし尿など)処理は、旧清掃法に定められた特別清掃地域の制度が廃止され、市の全行政区域が清掃事業の対象となった。なお、産業廃棄物については、新法では事業者が義務的に行われなければならないことになった。
 昭和三五年度の特別清掃地域の状況は、人口一万六、一五〇人で世帯数二、八四四世帯となっている。特別清掃地区の当初の指定は、市街化を形成している地域のみであったが、一九七一(昭和四六)年九月に廃止された当時は、灘町・湊町・下吾川、米湊、上吾川の松本、白水、尾崎の三栄浜、市営住宅、三島町、中村の市営住宅となっていた。

 ごみ処理
 郡中町においては、従来市街地のみを対象として手車による収集運搬を行い、下吾川新川地域の畑作農家に有料で売却していた。
 一九五五(昭和三〇)年の伊予市発足後もこの方法を引き継ぎ、一九五七(昭和三二)年清掃法による特別清掃地域(灘町、湊町、米湊の栄町等、下吾川の一部)の指定を受けてごみの収集運搬を行ってきたが、ごみの受け入れ畑作農家の強い要望があり、従来の個々の農家の畑への直接搬入を取り止め、下吾川南西原の市有地へ堆積し、腐熟したものを有料にて分与することにした。しかし、多量の汚物を一か所に集積することは害虫の発生源となり、悪臭甚だしく環境衛生上ゆゆしい問題もあり、付近住民から改善要請もあったので一九六〇(昭和三五)年塵芥汚物積入タンク、鉄筋コンクリート及びブロック造り一〇室を設置した。この中にごみを堆積し腐熟したものを有料にて農家に売却することにし、一九七一(昭和四六)年その使用を中止するまで続けた。
 昭和三〇年代にはいってから化学肥料の進出と、プラスチック容器の普及が急速に進み、それがごみに多量に混入するようになったため、堆肥の利用者が激減した。
 経済成長に伴いごみは年々増加するばかりで環境衛生上重大な事態を招来するおそれがあり、焼却処理による近代的施設の設置が急がれた。伊予市・松前町共立衛生組合では、伊予市下吾川鳥ノ木に一日一五トンの焼却能力を持つ焼却場を建設し、一九六五(昭和四〇)年から操業を開始した。これにともない当市においても、特別清掃地域の一部拡張を行い、ごみ収集は各市町で対応し、焼却業務については、衛生組合が担当する方式で実施した。
 更に、一九六九(昭和四四)年ごろから、ごみ排出量の年々の増加、ごみ収集区域の拡大、焼却場の老朽化などにともない、焼却能力の不足を来したので、この対応として新しく双海町を加えて一市二町で一九七〇(昭和四五)年五月に伊予地区ごみ処理施設管理組合を設立して、伊予市三秋にごみ焼却場の建設に着工し一九七二(昭和四七)年四月に、一日三〇トン能力の焼却場が完成し、操業を開始した。
 一九七一(昭和四六)年九月から、廃棄物の処理及び清掃に関する法律が施行されたのにともない、清掃法は廃止されて特別清掃地域は消滅した。当市においても、一九七二(昭和四七)年四月から、全市(鵜崎、平岡を除く)にわたりごみ収集を実施することになった。その後、急激な社会経済の発展にともなって、ごみ量の急増と、ごみ質の変化もあって、焼却能力不足に対応するため、組合では、一九七七(昭和五二)年三月に総工事費六億四八四万円を投じて、敷地面積三、二二七平方メートル、建物面積一、七二二平方メートル、焼却炉四〇トン当たり八時間(二〇トン当たり八時間炉二基)機械化バッチ方式炉を設置した。また、二〇〇二(平成一四)年一二月一日を基準日とするダイオキシン類排出基準強化に対応するため、二〇〇一(平成一三)年九月~二〇〇四(平成一六)年二月まで排ガス高度処理施設整備事業及び灰固形化施設整備事業を実施した。これに要した事業費は二四億九、九六四万円である。
 なお、燃えるごみについては、昭和六〇年度から一部業者委託を実施し、平成一二年度からは、全面委託となった。燃えないごみは、昭和四七年度から業者委託を開始し、平成一四年度からは資源ごみ(びん類、かん類、ペットボトル、紙類)、燃えないその他のごみ、粗大ごみ、有害ごみの七種分別となっている。

 し尿処理
 昔町家のし尿は、金品を贈って周辺の農家に汲み取ってもらった。戦後社会情勢の変化にともない、化学肥料の発達とし尿の土地還元が寄生虫の発生源であるなど食品衛生上の問題などもあって、肥料としてし尿の利用が激減したため、し尿汲み取り賃金を支払わなければならなくなった。
 当市においても、一九五八(昭和三三)年にはし尿汲み取り業者に許可制をとり、業者はバキューム車によって特別清掃地域内のし尿の処理をするようになった。
 従来のし尿処理は、農家の土地還元並びに業者による海洋投棄などの方法によって行ってきたが、一部不衛生処理に流れ害虫の発生源ともなる状態で環境衛生上重大な事態を招来するおそれがあり、近代的なし尿処理施設を設置することが急務となった。
 そこで伊予市・松前町共立衛生組合において、市・町の特別衛生地域を対象として、一九六五(昭和四〇)年五月に、松前町鶴吉に草田処理場を建設し、嫌気性曝気方式による、一日処理能力四五キロリットルの施設で操業を開始した。しかし、一九七一(昭和四六)年九月の新法の施行により従来の施設では処理できない状態となったので、一九七六(昭和五一)年三月松前町筒井一八一三番地に高速酸六九五万円を投じて近代的な施設でもって建設したが、前記草田処理場と同様この施設も廃止され、今では松前町大字筒井字砂流場一七九五-一〇に新設された。敷地面積九、一八〇平方メートル、建築面積三、八二三平方メートル、一日処理能力六八キロリットル、処理方式膜分離型高負荷脱窒素処理方式及び高度処理建設費二〇億八、〇〇〇万円の近代的な施設が二〇〇〇(平成一二)年四月から操業を開始している。