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伊予市誌

1 街路事業

 決定された都市計画道路(街路)の築造工事については一九五五(昭和三〇)年に市道内港新川線の第一期工事として灘町地内の改良工事が着工され、一九五八(昭和三三)年に延長四四〇メートルの街路が完成した。この街路は、臨海区域と市街地を連絡する道路として利用されている。続いて一九五九(昭和三四)年には、国道代替線(現国道五六号)と市街地及び港湾を結ぶ市道西町谷上線(灘町・米湊地内)に着工し延長七八〇メートルの街路が一九六三(昭和三八)年に完成した。
 市道南西原馬塚線は、国道代替線(現国道五六号線)と旧国道(現主要地方道伊予松山港線)を結ぶ路線として延長三九〇メートルを一九六二(昭和三七)年着工、一九六四(昭和三九)年に完成を見た。
 こうして、逐次市街地の道路の形態が整ってきたが、更に一九六九(昭和四四)年から工事の始まった市道国鉄駅前三境線(現国道三七八号)は、市街地のバイパス路線・市街地開発道路として伊予市駅前拡張工事もあわせ、一五戸の建物を移転する事業となり、延長六八〇メートルの街路を一九六九(昭和四四)年着工、一九七三(昭和四八)年完成した。この路線は、本市から双海・長浜方面への幹線道路として大いに利用されている。
 市道南西原馬塚線の第二期工事として、主要地方道伊予松山港線以西の海岸に至る間、延長二四〇メートルを一九七三(昭和四八)年に着工、一九七九(昭和五四)年に完成を見た。
 下吾川の鳥ノ木団地造成に伴い、団地の主要進入路として、国道五六号線大谷川橋から団地に至る間、延長四七五メートルの市道新川馬塚線が一九七三(昭和四八)年着工、一九七九(昭和五四)年に完成を見た。現在この路線は、主要地方道伊予川内線として利用されている。
 伊予港内港から国道五六号線(稲荷地区)に至る市道内港稲荷線の第一期事業として、内港から栄町に至る延長二四〇メートルを一九七四(昭和四九)年に着工、二六件の建物の移転を行い、一九八一(昭和五六)年に完成した。また、市道内港稲荷線の第二期事業の第一工区として、国道五六号線から以西延長四二〇メートルを、一九八一(昭和五六)年に着工し一九八八(昭和六三)年に完成、第二工区は一九八九(平成元)年よりTJR予讃線及び国道三七八号線の立体交差工事が行われ、延長三六〇メートルを一九九七(平成九)年までの間で施工し国道五六号線より市内中心部への連絡幹線街路として利用されている。