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伊予市誌

一、選挙制度のあゆみ

 明治新政府が打ち出した公議世論尊重の方針は、諸藩の意向をさぐる意図であって決して一般民衆の意見を政治に反映させるものではなかったが、立憲政治の発達には貢献した。
 一八七四(明治七)年に「民撰議員設立建白書」が提出され立憲政治を求める声が高まってきたが、政府は議会設置については漸進論をとり、次第に立憲政体へ移行する方針を出した(一八七五年(明治八)年「立憲政体樹立の詔」)。しかし、自由民権運動は激しさを加え、一八八一(明治一四)年に政府は、「国会開設の詔勅」を出して一八九〇年までに国会を開設することを宣言した。
 我が国における選挙は、憲法発布に基づく衆議院議員選挙より一足先に地方選挙において実現した。
 一八七八(明治一一)年、地方三新法(「郡区町村編成法・府県会規則・地方税規則」をいう)によって糸口がつくられ、その後一八八八(明治二一)年に市制・町村制、一八九〇(明治三)年に府県制・郡制がそれぞれ公布されて、地方議会と議員選挙の規定が盛り込まれた。
 衆議院議員選挙法は、一八八九(明治二二)年二月一一日、「大日本帝国憲法」の発布と同時に公布された。
 その後、政治情勢の変動によってしばしば改正が加えられ、一九五〇(昭和二五)年には公職選挙法の制定があった。その間における改正の主なものは、次のとおりである。

 一九〇〇(明治三三)年の改正
 日清戦争を経て我が国の資本主義は急速に発達し、これに伴って都市化が進行し、労働運動が盛んになってきた。政府も立憲政治の充実のためには、選挙権の拡張が必要と考えるようになった。こうして衆議院議員選挙法の全文改正が行われた。
 改正の要点は、①納税条件の緩和、②被選挙資格については納税条件を撤廃、③選挙区は大選挙区を採用し、府県単位の選挙区を原則とし、他に市を独立の選挙区にした。④投票方法は単記無記名の秘密投票に、⑤議員定数は三六九人とした。

 一九一九(大正八)年の改正
 第一次護憲運動(大正元~二年)、第一次世界大戦(大正三~七年)後のせ界的民主化傾向、米騒動(大正七年)の影響を受けて、ようやく軌道に乗った政党政治の発達と多年にわたる選挙制度の実際的経験から、改正が行われた。
 改正の要点は、①納税条件が更に緩和され、有権者は総人口の五・四六%と倍増した。②原則として小選挙区制をとった。③議員定数は四六四人とした。

 一九二五(大正一四)年の改正
 その間、普通選挙法運動が続けられ、二五年目にして我が国情を顧慮した大改正が加えられ、男子普通選挙制が成立した。この改正により、有権者は飛躍的に増大し、しかも中選挙区単記制は外国には例をみない日本独特の制度であった。
 改正の要点は、①納税条件の撤廃、②選挙区は中選挙区(一区三~五人)、③議員定数は四六六人、④選挙方法、選挙運動費用についての制度の設置である。

 一九三四(昭和九)年の改正
 普通選挙の実情に対する反省から、選挙の腐敗をいかにして是正するかで選挙法の改正の論議が起こった。一九三二(昭和七)年五月一五日、犬養毅首相が射殺され、議会政治そのものの停止の危機が高まってきた。このような社会情勢のもとにおいて、犬養内閣のあとを継いだ斉藤内閣は、選挙制度改革案の審議を進め、一九三四(昭和九)年衆議院議員選挙法の一部改正が行われた。
 改正の要点は、買収・選挙公営並びに選挙人名簿登録要件のうち居住期間の短縮であった。
 やがて日華事変及び太平洋戦争に突入し、一九四〇(昭和一五)年八月、政党の解党が終了し、一〇月には大政翼賛会が成立して昭和一七年のいわゆる大政翼賛選挙にいたった。

 一九四五(昭和二〇)年の改正
 第二次世界大戦が終わり、諸政党の結成と婦人参政権を含む画期的な内容をもつ衆議院議員選挙法が成立した。一九四七(昭和二二)年には貴族院が廃止され参議院議員選挙法が制定された。
 地方制度の改正の第一歩として、東京都制・府県制・市町村制の改正(昭和二一年五月公布)が行われた。これによって地方公共団体の議会の権限が強化され、首長の公選制が実現した。この改正法に基づく地方選挙が、一九四七(昭和二二)年四月に全国一斉に行われた。なお、同年五月三日に施行された地方自治法は、新憲法の趣旨を生かしたもので、都道府県も市町村と同様な自治体となり、明治以来の地方制度はくつがえされ、民主的な地方自治制が確立された。

 新しい選挙制度
 一九五〇(昭和二五)年四月、今までは各種選挙法が個別に定められていたものを、一つにまとめた公職選挙法が制定された。一九六一(昭和三六)年には選挙制度審議会が設けられ、調査審議を重ねた結果出された答申に薬づいて選挙法規の改正が行われ、一九八二(昭和五七)年には、従来型本位の参議院全国区制が改められ、政党本位の拘束名簿式比例代表区制が導入されるという我が国選挙制度史上画期的な改正が行われた。一九九四(平成六)年には衆議院中選挙区制から総選挙区比例代表並立制へ改正され、二〇〇〇(平成一二)年には参議院拘束名簿式比例代表制から非拘束名簿式比例代表制に改正され今日に至っている。