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伊予市誌

二、林業経営の推移

 造林
 この地方は自然林が多く全般的に造林が低調であったが、気象・土壌など造林に適した上唐川の一部と両沢・鵜崎地区では、古くから植林が行われ良林が少なくなかった。
 明治時代の初期、下唐川の庄屋菊沢文太郎が林業の振るわないのを嘆き、数千円の私財を投げ打って上唐川の長崎谷に杉五〇万本を数年にわたって植栽したことが『南山崎村郷土誌』に記録されている。
 一九〇六~一九〇七(明治三九~四〇)年、南山崎村において、元国有林一六一町八反八畝三歩(約一六一・八ヘクタール)を購入して村の基本財産林・学校林として松・杉を植栽した。一九〇九(明治四二)年南伊予村では苗木の生産が一二万六、五〇〇本あり、造林熱が高かったことがうかがえる。
 その後、植林が盛んになり、各地の郡有林の払い下げを受け植林を行った。大正時代末期から果樹栽培(温州みかん)が盛んになり、気候温暖な所は多く果樹園となった。しかし、戦争中の濫伐によって山林は荒廃し、更に戦災都市復興のため木材需要が急増して立木の大量伐採が行われ、山林はほとんど裸の状態となった。これに対処して、国を挙げて国土緑化運動(現在の緑化募金の基礎)が推進されるとともに、一方、国土の保全、森林資源確保のために一九五○(昭和二五)年「造林臨時措置法」が施行され、一般造林と拡大造林などについて補助政策がとられた。これによって造林は急増し、昭和二八~三二年に一八八ヘクタール、同三三~三七年に一四一ヘクタール(杉・檜)と、造林は年平均三三ヘクタールとなっている。その後造林は減少し、松くい虫跡地造林による更新が行われてはいるが、昭和五五~五九年の五加年間では年平均二三ヘクタールとなっている。

 林産物
 本市における林産物の生産並びに価格の状況は、第121表と第122表のとおりである。一九〇九(明治四二)年では用材は一才で一銭五厘、竹林は一束で四〇銭、松茸は一斤が一〇銭となっており、一九三二(昭和七)年には用材は石一円、竹材は一束が六四銭、松茸は一斤が一六銭とわずかながら松茸と竹材の値上がりが見られる。次に第123表に見られるように、生活様式の変化によって石油・ガス・電力の使用が高まり、一方、果樹園造成によって原木が伐採されたので、たきぎは昭和四三年を限りに減少した。また、木炭は昭和四〇年から皆無の状態となった。しかし、くぬぎ・ならの木は、たきぎや水炭材より高価のしいたけ栽培のほだ木として自然林中から伐採してきたが、今は他町村から購入しなければならなくなった。これによって昭和四五年に乾しいたけを二四五キログラムと生しいたけ一万八〇〇キログラムを生産した。同四七年には乾しいたけを三二〇キログラムと生しいたけを一万八、五五〇キログラム生産し、生産額は急速に増大した。
 竹材については、一九〇九(明治四二)年に南山崎村で二、三〇〇束の生産があり、ことに唐川・大平地区に多く産した。その上良質の竹を算出していたが、一九三五(昭和一〇)年ころから若竹に開花現象が見え始めそれが徐々にまん延して、現在はほとんど枯死して、残ったのは淡竹と孟宗竹ばかりとなった。竹林は治山上大切なものであるが、多くは開墾されて果樹園となり、タケノコは三秋・稲荷・大平・唐川地区でわずかに生食用・加工用として産出している。

 その他
 一九三二(昭和七)年に木炭の検査が県によって実施され、規格・品質の統一が図られることとなった。一九三八(昭和一三)年には木炭の価格統制割当が行われ、一九三九(昭和一四)年には用材の価格統制割当が実施された。また、一九四三(昭和一八)年にはしいたけ・はぜの実なども規制されることとなった。
 一九四四(昭和一九)年には、「松根油緊急増産対策措置要領」が制定され、各地の松の大水の根元へ、斜めにのこ目を入れて松やにを取った。また、松の切り株を掘り出し、これから松根油を取って、航空機燃料の不足を補った。同年「決戦木材供出貫徹運動」が実施された。これは県民の総力を結集して、伐採・輸送・製材の全能力を発揮し、政府割当供出量の確保をしようとするものであり、供出については所有者個々に伐採命令書が出され、森林組合のもとで伐採された。また、戦後も「進駐軍用木材」として強制割り当てがあり、一九四七(昭和二二)年まで伐採が行われた。

 林道
 一九六〇(昭和三五)年以来、開設された林道・作業道(林内作業車道)は第124表のとおりであり、森林資源の質的充実と開発促進を図り、安全で効率的な森林施業を推進し、林業生産性と所得の向上に寄与してきた。
 また、治山治水事業については、昭和三五年以降一四か所で約八、七〇〇万円の事業を施行している。

 松くい虫防除対策
 各地で松くい虫による松の枯損が増加し、多くの国民に親しまれてきた天然記念物の松、防風や潮害防備の機能を有する松林、林業経営上貴重な松林などにおいても被害が目立っている。松くい虫の被害発生のメカニズムを研究した結果、昭和四○年代半ばに国立林業試験場などの研究チームによって、マツノマダラカミキリによって運ばれる体長一ミリメートル足らずのマツノザイセンチュウによって引き起こされる松の生理異常によることが明らかにされた。その被害を防ぐには、共生関係にあるマツノマダラカミキリの駆除が適切であり、初夏にヘリコプターによって松の健全木へ薬剤散布することが極めて有効であることが判明した。昭和五二年には、これらの研究成果を踏まえ松くい虫の異常な被害の収束を図るため、特別防除(ヘリコプターによる薬剤の散布)を緊急かつ計画的に推進する「松くい虫防除特別措置法」(昭和五二年四月一八日、法律第一八号)が五年間の時限法として、昭和五七年にはこれまでの特別措置法の一部を改正した「松くい虫被害対策特別措置法」(昭和五七年三月三一日、法律第二一号)が五年の時限法として制定され、期限延長された同法が平成八年度末で期限切れとなった後は、昭和二五年に制定された「森林病害虫等防除法」を改正(平成九年三月二八日、法律第一一号)し、松くい虫防除対策が講じられている。
 本市では、これらの法律に基づき、国、県の助成などを得てヘリコプターによる空中散布一九五ヘクタール、五色浜公園での地上散布一・五ヘクタールなどの関係事業が実施され、松林の保護を図っている。

第121表 林産物の生産並びに価格の状況(明治42年)

第121表 林産物の生産並びに価格の状況(明治42年)


第122表 林産物の生産並びに価格の状況(昭和7年)

第122表 林産物の生産並びに価格の状況(昭和7年)


第123表 林産物

第123表 林産物


第124表 林道・作業道(林内作業車道)の状況

第124表 林道・作業道(林内作業車道)の状況