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中山町誌

四、 中期の土器

 この時期の土器は、前期の箆描き沈線文を受け継ぎながら櫛描文が盛行する。壺形土器は口縁部が大きく外方向に漏斗状に外反するA器形と、口縁端面を下方向につまみ、垂直に拡大された平面(パラペット)を作るB器形と、口唇端を上下につまみ外傾する口唇端面を作るC器形の三種がある。頸部に、貼り付けによる断面三角形の凸帯がある以外は、無文化への傾向が強いが、甕形土器にも口縁部に変化がみられ、逆L字口縁直下に断面三角形の突帯を貼り付けたF字口縁と如意口縁が盛行する。突帯は単体構成で、直下に櫛描直線文が数条描かれるものが松山平野で多くみられる。この逆L字口縁は瀬戸内型甕と指摘されている土器である。
 石包丁 (稲の穂刈)は、前期では全面を入念に磨製していたが、中期中葉以降は、緑色片岩を利用した打製の石包丁が盛行した。これは、鉄器が普及したことと、耕地の増大によるものとする説もあるが、はっきりとはしていない。鉄器の普及によって、鉄鎌が出現する時期でもある。
 また、水田に接した高みには畑を開き、ムギ・ヒエなどの穀類を副次的に栽培した。松山市来住V遺跡では、パン小麦二粒が、弥生文化中期の土器を包含している層から検出されている。

図1-4 弥生中期の土器

図1-4 弥生中期の土器