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中山町誌

三、 垣生城

 いっぽう、垣生城の方は、出淵の永田三島神社の背後の小高い山の上に道構を残している(標高二五九メートル、比高一〇〇メートル)。地元の人はここを、城主に因んで「盛景さん」と呼んでいるという。最頂部は、近年近くの工場の敷地の一部として削平されているので、往時の姿を窺うことはできないが、地図等を参照しても一定の平坦地があったことは明らかで、曲輪の一部が残っていたものと思われる。
 高さ、険しさという点では伊福城と比較すべくもないが、中山川の流域を一望のもとに見下ろすことができる立地条件は、中世城郭特有のものといえる。最頂部から南西方向に尾根がなだらかに下っているが、その途中には、明瞭に段差の跡が残されており、このあたりが曲輪の一部であったことがよくわかる。また、尾根の先端が道路や土地造成工事のために削りとられているが、そのあたりからかつて多くの宝篋印塔が見つかったと伝えられており、盛景寺に移されているそのうちの一基を見ても明らかに中世様式である。これらのことも、この一帯がかつての垣生城のあとであることをよく示している。