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中山町誌

一、 四国征伐後の喜多郡・浮穴郡

 天正一三年(一五八五)豊臣秀吉が四国征伐を行い、伊予の河野通直は湯築城を開いて、小早川隆景に降伏した。これ以後、現在の中山町域の領主は目まぐるしく交代することになった。同年から寛永二一年(一六三五)までのわずか五〇年の間に、栗田村では小早川隆景・福島正則・粟野秀用(疑問あり)・加藤嘉明・蒲生忠知があいついで領主となり、中山村・出淵村・佐礼谷村では戸田勝隆・池田秀氏・藤堂高虎・加藤貞泰・同泰興の支配地となった。現在の中山町が大洲藩領として安定するのは寛永一二年以後のことである。
 現在の中山町のうち大字中山は喜多郡に、大字出淵・佐礼谷・栗田は浮穴郡に属していた。以下、領主の交代と中山町の旧村々とのかかわりを述べてみよう。