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中山町誌

三、 自治制の発達

 明治八年三月三〇日に「町村議事会心得・仮規則」が公布され、各町村は議事役を選挙し議事会を開いた。
 さらに、明治九年に「金穀公債共有取扱、及び土木起工規則」が公布され、各町村は町村議事会の決議を経て、負債を起こすことができるようになった。また、戸長の職務は今までの旧慣によるものが多かったため、明治一一年一一月に地方条例が制定され、職務の統一が行われた。
 同年七月に「郡区町村編成法」が制定され、郡には郡長が置かれ、地方長官の指揮を受け法律・規則を管内に執行するようになった。町村(小さな町村は数か町村併せて)には戸長一名を置き、地方長官の監督を受け、戸籍・兵事・学事等を掌ると共に、上級官庁の命ずる事柄を施行した。また、大区制を廃して郡制が敷かれ、小区制が廃止されて旧町村名称が復活した。これにより旧中山村一円は中山村、旧出淵村一円は出淵村、旧佐礼谷村一円は佐礼谷村とそれぞれ独立し、旧栗田村一円は広田村に属した。
 明治一八年一月一五日限りで、県は戸長役場を廃し、更に町村戸長役場管轄の区域及び役場の位置を定め布達した。このことは町村行政制度上における領域編成の画期的な処置で、市制・町村制の前提となった。
 明治二一年四月一七日に市制・町村制が公布されるに当たり、戸長が廃止されて町村長となった。町村会の選挙権及び被選挙権は公民(満二五歳以上の一戸を構える男子で二年以上町村の住民となり地租・直接国税二円以上を納める者)であり、選挙は納税額別の二級制で行われた。町村長は、町村会がその町村公民の中から選挙した。
 明治四四年(一九一二に町村制の全文改正があり、町村会議員の任期が六年で、三年毎に半数を改選する定めであったものを、任期が四年で、全部改選するように改めた。町村制はその後、主として自治権拡充を目的とする改正が数回にわたって行われたが、昭和一八年二九四三)に逆行改正がなされ、その二年後に太平洋戦争の敗戦を迎えることとなった。