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中山町誌

一、 上灘町字犬寄の分離

 昭和一三年(一九三八)、上灘町字犬寄住民から佐礼谷村長宛ての陳情書が提出された(佐礼谷村には保存されておらず、中井秀吉(故人)の長男利明の所蔵している控を転記した)。
 この地区は両町村で同じ犬寄の名称を持ち、町界をはさんで軒が隣接して一つの集落と見え、人情・風俗・習慣も同じで、小学校への就学も上灘町からの委託を受けて佐礼谷小学校で勉強するほか、産業・経済面でも密接な関係にあった。
 しかし、この問題は、審議されないまま時日が経過した模様で、昭和二五年(一九五〇)四月二一日の村議会に、はじめて正式に議案として上程された。
 その議会での審議内容は具体的ではないが、「関係部落交渉委員の説明を聴き、実地を調査し、村境界等本案全般につき審議す。満場議員異議なく可決し、直ちに確定議となす」と、当日の村議会会議録に記載されている。
 このように議決され、議長から村長へ報告された文書はあるものの、その後の対応が分かる資料はない。また、陳情書に連署した住民や、佐礼谷村犬寄から選出されて議事に参与した議員も既にこの世になく、詳細を知ることができない。
 いま、平成の時代になっても、両町の犬寄の一体性に変わりはなく、保育園から児童生徒の就学、公民館・婦人会・老人クラブ・敬老会あるいは中山町営簡易水道からの給水、そのほか、産業経済面や日常生活など、中山町民と同様の状況にある。現在自治制度上の変更の動きはない。

   陳  情  書
 自分等上灘町辺隔ノ地ニ住居スル関係上常ニ貴村住民ノ如キ御愛護ニ浴シ誠ニ感謝ニ不堪候
 吾等今更将来ヲ思考スル時永久ニ貴村ノ御愛護ニアマヘ加フルニ当部落ノ不便不合理ナル生存ヲ維持スル事誠ニ憂慮ニ堪ヱザル者有之茲ニ吾等一同上灘町ヨリ分離シ貴村ノ御仁政ニ浴シ度キ切々ノ情巳ミ難ク左ニ勝手ナル理由ヲ具シ陳情仕候
 何卒吾等ノ不安ナル心裡ヲ御汲察被下特別ノ御同情アル御審議ヲ以テ此際貴村へ入村御許可被下度懇願致候
     理 由
一、児童ノ就学二就テハ上灘小学校トノ距離遠隔ノ為メ永久二貴村ノ御厄介ヲ煩ス事
二、他村ノ学校ニ於テ勉学修練スル児童並ニ青年男女ノ心細味ハ教育ノ根本タル精神的人物養成ヲ阻害スル事
三、自治ノ上ニ於テ部落区画ノ不合理ニ起因スル不便ノ止マザル事
四、当部落ハ粒野本組卜山間半里ヲ隔テ、居ル関係上連接軒ヲ並ベル貴村犬寄地方トハ引合諸講組等ヲ一ニシ隣保相助ノ美風自然ニ生ジ互ニ融和結合シツヽアルモ町村区画ノ分線ハ常ニ之ヲ離間セシメ一家庭ノ如キ吾等ノ楽土建設ヲ不安ナラシムル事右吾等ノ苦衷ノ主ナルモノヲ記シ連署ヲ以テ此段陳情候事如件

   昭和拾参年弐月
          伊予郡上灘町大字上灘
  西 岡 亀太郎 印  大 西 廉 雄 印
  高 岡 勝 美 印  山 谷 槌五郎 印
  中 井 秀 吉 印  﨑 岡 村太郎 印
  米 田 槌五郎 印  三ツ山 松太郎 印
  仙 波 類太郎 印  曽 根 喜 伴 印
  山 岡 芳 造 印  太 田 亦 市 印
  久保中 留 吉 印
 佐礼谷村長
  篠 﨑 重 通 殿