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中山町誌

第二節 戦後の社会福祉

 第二次世界大戦が終ってから出来た新憲法第二五条に「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とあり、また「国は、社会福祉、社会保障、公衆衛生の向上と増進に努めなければならない」と規定され、この憲法の精神に基づき、社会福祉の制度化が図られた。
 第二次世界大戦では、約二五〇万人の尊い人命が奪われた。日本国内は焼土と化し、戦局末期からの激しい破壊と、戦後の経済的・社会的混乱から「国民総飢餓」の状態になり、特に戦災者・引揚者・失業者・母子・孤児・障害者・復員軍人・浮浪者等々の生活苦は、深刻なものであった。当時、すぐ救済を要する、要援護者は約八〇〇万人と推計されている。
 戦後こうした膨大な貧困層の出現に対し、連合軍総司令部(GHQ)では、戦前の厚生事業を解体して、新しい民主的な社会福祉施策を作る努力をした。特に戦後改革として緊急を要したものが、公的扶助・児童保護・障害者救済であった。
 GHQは、昭和二一年(一九四六)二月、日本政府の社会福祉行政改革として「社会救済に関する覚書」を日本側に提示した。一般に「四原則」と呼ばれるものが示されたのである。いわゆる、「無差別平等の原則」・「公私分離の原則」・「救済の国家責任」・「必要な救済は制限しない」というものであり、日本政府はその原則を尊重して、最初の生活保護法を制定した。以下戦後の社会福祉事業関係法規は表4―1のとおりである。
 昭和六二年(一九八七)には、社会福祉関係者の長年の希望であった「社会福祉士及び介護福祉士法」が制定された。さらに「人生八〇年」時代にふさわしい社会福祉制度改革の方向について、平成元年(一九八九)、今後の「社会福祉の在り方について」意見具申がなされ、市町村の役割重視、在宅福祉の充実、民間福祉サービスの育成などが提言された。
 同年一二月には、二一世紀の本格的な高齢社会到来に対応して、「高齢者保健福祉一〇ケ年戦略」(平成二年度から平成一一年度までの目標、ゴールドプラン)が策定された。
 平成二年(一九九〇)には、社会福祉関係八法が改正され、在宅福祉サービスと施設福祉サービスが一元的かつ計画的に提供されるよう意図されている。
 今後は、制度面の整備と併せて、日常の社会福祉実践を支える、マンパワー確保も重要であるとされている。

表4-1 戦後の社会福祉事業関係法規等

表4-1 戦後の社会福祉事業関係法規等