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中山町誌

二、 ごみ処理施設

 旧中山町では、昭和二五年(一九五〇)頃までは大八車でごみを収集運搬し、ごみを野原に集め露天で火を付けて焼いていたが、昭和二六年豊岡二区に建坪一三坪のごみ焼却場を建設した(当時のごみ集め作業員は、下久保政五郎、昭和三四年一〇月八日第一一回清掃事業功労者厚生大臣表彰)。その後、ごみ量の増加により能力不足となり、昭和三八年二月炉と煙突を改築して、一日の焼却能力を二・五トンとした。以来一〇年余り本施設を使用したが、ごみ量が増大し、処理不可能となったため、昭和四八年度において、内子町・五十崎町・肱川町・河辺村・中山町の五町村(平成五年度から広田村加入)により内山衛生事務組合を結成し、昭和五〇年一〇月ごみ処理施設を建設した。以来委託業者によりごみを収集している。