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中山町誌

第二節 日清・日露の戦争と郷土

 日清戦争(明治二七人~二八年=一八九四~九五)・日露戦争(明治三七~三八年)の二度の大戦において、本町は多くの出征兵士を見送った。県においては、戦病没者の葬儀に当り、遺族を招いて営内(松山市堀ノ内)で神仏式による荘厳な祭式を行った後、遺骨・遺髪を遺族に交付し、その階級に応じて一定数の護衛兵をつけてその郷里に送還させた。また各自の郷里における葬儀の場合は「町村葬」として、遺族が自葬を行う場合には、町村吏員・兵事係が幹旋の労を取り、葬儀には県知事の弔辞、郡長以下町村吏員、公共団体、学校職員児童生徒らが会葬した。
 一方、村費も大節減を行うと共に、小学校をはじめとして、勤倹貯蓄組合を設けて一厘でもと戦争のために貯金に当たった。産業面では明治三七年五月一四日発せられた知事の告諭に基づき、戦時農業督励員が任命せられ、農業生産物の増大を図ることに総力を挙げた。

 日露戦役出征軍人氏名(戦捷記念碑より 旧中山村)

 井上慶治郎 田村惣吉 山田茂喜三郎 門田喜三郎 西岡慶治郎 亀岡嘉平 新崎萬里郎 山田勘助 丸田栄太郎 福崎角太郎 (以上戦病死者)

 松田今吉 宮田増藏 坂江利三郎 西本増衛 片岡昌雄 大森寅治郎 島田謙治郎 五島音吉 堀川卯三郎 惠原狛三郎 仙波菊治郎 鍛治慶治郎 酒井靜治郎 奥島定治郎 神崎清太郎 内田謙太郎 山下喜市 松本米吉 池内音三郎 正岡理三郎 茶野伊右エ門 岡田善吉 藤岡善太郎 廉田村治郎 原田高雄 高橋佐市 泉今吉 篠崎又吉 山内惣衛 高本岩五郎 奥島德衞 泉茂吉 西城利藏 上田豊藏 松本勘衞 宮内要 長田芳五郎 永田春吉 西岡喜市 西岡長三郎 高橋亀五郎 福岡寅吉 松本宇三郎 山本浅五郎 宮田彌三郎 西山綱吉 中岡留吉 西山丈衞 久保善五郎 山口鶴吉 亀岡留吉 奥野長藏 西岡喜十郎 岡本品治 吉村民衞 松本利三郎 正金文八郎 山田常吉 高村吉藏 鈴木信清 福岡桝太郎 中岡傅吉 白石国三郎 松本善次郎 石田兼吉 奥田辰五郎 太森善吉 松岡庄内 新田寅吉 北岡菊三郎 梶木文吉 松田仙吉 井上松太郎 井上乙五郎 亀元増衞 藤岡儀市 亀岡勘平 上岡辰治郎 谷岡惣衞 岡田善太郎 堀川角太郎 西岡午太郎 道上藤藏 一木鹿太郎 兵頭仲治 杉本未市 峯岡長右衞門 久保梅三郎 皆本寅吉 大野仲治 森德友三郎 増岡常市郎 福山森藏 山岡道五郎 山本茂三郎 西岡宗平 山口靜衞 久保藤吉 (明治三七・八年役出征軍人関係調書より 旧佐礼谷村)

 亀岡亀五郎 泉本興市 中岡米吉 山下彌平 江口曻吉 松岡米太郎 (以上戦病死者)

 川元喜平 山上芳五郎 松本八郎 坪内亀五郎 山上森之進 久保田丑五郎 西岡竹三郎 立藤熊太郎 中岡八十衞 山中万五郎 武智夘吉 亀岡又五郎 作岡政吉 宮田寅五郎 仲田鹿藏 梶原左之治 福岡大吉 山岡為藏 長明健治郎 稲田緑松 波岡金平 井ノ川政五郎 山本萬五郎 神市乙吉 阿部里吉 河野平八 中岡馬五郎 池田槌太郎 亀ノ上夘藏 松浦又吉 小田彦市 西田藤吉 山中音五郎 竹原道藏 井上辰五郎 尾ノ上兼市 亀井夘三郎 堀田岩藏 西岡良吉 久保田吉藏 山岡石藏 山田鹿藏 高岡馬五郎 高岡末吉 久保田槌三郎 渡井兼太郎 岡田忠五郎 川本乙治郎 石田亀五郎西村浅吉 安岡常五郎 西岡留五郎 玉井秀信 森本近五郎 金岡千代吉 亀田角太郎 櫻木文吉

 日露戦争の後も、ロシアはウラジオ要塞を強化し、シベリア鉄道の複線化に着手するなど、極東の兵備増強に努めていた。それに対して日本は、陸軍においては戦争後平時編成に復したが、兵器の改善とともに兵力の保持に努力した。このため、明治四〇年には歩兵の在営期間を二年間に短縮する一方、後備役の期間を一〇年に延長して、既教育兵と動員力の増加を図った。これに併せて編制の改正を行ったので、歩兵第二二連隊は同年一〇月、再び第五師団の管轄下に置かれることになった。この時の編制概要は次のとおりである。(図表 編制概要 参照)

第五師団(広島)

第五師団(広島)