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中山町誌

第八節 戦(病)死者と町村葬

 日中戦争、太平洋戦争と戦場が拡大され、激戦化したため、多くの戦(病)死者を出した。
 戦(病)死者遺骨出迎えのため、当時の町村長・助役・兵事係は、松山市高浜港、あるいは、松山歩兵二二連隊まで出向き、遺骨帰還後は直ちに町村主催の葬儀を行っているが、遺骨多数の場合は、合同葬を行った。
 「戦没者遺族台帳」(中山町) の記録によると、昭和二一年七月一一日までは、町葬を、同年一一月七日以降は公葬中止のため自宅葬となっている。
 葬儀は、町村長が葬儀委員長となり、小学校講堂において、遺族・町内外関係者・町村内各種団体長・小学校青年学校児童生徒・一般住民の参列により、幾度となく行われている。