データベース『えひめの記憶』
中山町誌
四、 農業の近代化
江戸時代までの耕起作業は、もっぱら人力耕起であり、明治初期より牛馬による耕起が取り入れられるようになったが、牛馬を耕田に使用するには、神明の罪を蒙る等の迷信を信じるものさえあって、山間地における牛馬耕の普及はかなり低かったようである。
明治一四年(一八八一)農談会の報告によれば、下浮穴郡佐礼谷村の鷹尾吉循は「我愛媛県伊予国下浮穴郡辺ハ人耕及牛耕トヲ行ウ……。慨シテ牛耕ヲ用フレハ起コスコト多ケレトモ人力の如ク精ナラス故二人耕ハ得アリ牛馬ハ便ナリト云フヘシ」と述べている。
同二一年の農事調査には人耕、牛馬耕の割合が表1ー4のとおりとなっている。
それより六〇年後の昭和二五年頃より機械化か一部見られるようにより、現在の機械中心の農業へと発展することとなった。