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中山町誌

七、 葉たばこ

 中山町特産の筆頭は何といっても葉たばこであろう。昭和一五年、野中の駄場唯衛・宮崎要範らが中心となって導入したもので、当時の耕作人員は詳かではないが、面積は二~三ヘクタール位だったらしい。それが昭和二二年には二五ヘクタール程度に伸びている。ところが昭和二七年頃から、現金収入の必要・畑作穀類経営の行き詰まりの打開策として、永木の城戸庄五郎が中心となり、葉たばこ耕作を取り上げて以来年々増加し、昭和三〇年には八七ヘクタールに及んだ。
 昭和三二年西岡進組合長時代に、佐礼谷葉たばこ組合を合併、翌三三年には松山組合への統合と進んだ。こうして昭和三九年には、耕作人員四三六名、面積一三三・八ヘクタール、一億五、〇〇〇万円の収入となり、当時農作収入第一位を占めるに至ったのである。当初、葉たばこの納入は郡中まで出して行われていたが、昭和二二年からは中山農協倉庫で行われることになり、昭和二八年に「たばこ収納庫」が建てられた。
 その後耕作者戸数は、減少したものの、昭和四八年には販売代金二億円台に、二年後の五〇年には三億円、五二年には四億円、五六年には五億円台と順調に拡大された。
 その間、昭和四三年に豊岡たばこ集納所が建築され、五二年添賀に共同育苗センター建築、五九年同所に共同乾燥場を建築する。
 昭和六〇年代に入り単価の低迷と、耕作者の減少に伴う耕作面積の減少により、減収傾向にあるものの、中山町農業の主要農産物には変わりなく、栽培農家にとっては経営上中心作目である。
 なお、現在の中山町葉たばこ耕作組合長は、岡田政雄である。
 昭和二五年以降の中山町葉たばこ生産状況は、次表のとおりである。

表1-28 中山町年次別葉たばこ生産状況

表1-28 中山町年次別葉たばこ生産状況