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中山町誌

第一節 商業

 中山町は、かつては宿場町として形成され、商業は泉町を中心に道路沿いの旅館・飲食店・料亭と並び、農民・旅人を相手として発達してきた。従って、現金収入に縁遠い存在であった農家では、掛け売買または市立、節季等に、まとめて現物を売買するなどの手段が取られていた。
 しかし、明治末期の大瀬鉱山開発により、その中継地として華やかさを増すと共に、現金売買を対象とするようになった。
 明治・大正時代は、担い売りの商人の出入りも頻繁となり、特に明治三九年に国道五一号線が開通したことによって、物資の輸送も順次盛んとなって商業は発展していった。
 明治四三年刊の郷土誌より抜粋すると次のとおり記している。
 「沿革―明治十年頃ハ商ヲ以テ営業トスルモノナク泉町ノ如キハ一ツノ農家部落ニテ商売ハ少量ノ貨物ヲ背負ヒテ山間部落ヲ行商スルニ過ギザレシガ交通開クルト共二商業漸ク発達シテ現今ハ殆ンド商家立チナラブルニ至レリ、
 商業戸数三三一戸ノ中判然セルモノハ商家九〇戸ニシテ他ハスベテ雑業ナリ
 種別、戸口
 酒屋~四・宿屋~八・呉服屋~二・料理屋~七・荒物屋~八・金物屋~ニ・売薬~六・傘屋~五・そば屋~三・殻物屋~五・菓子屋~六・下駄屋~五・雑貨商八・鍛冶屋七・置屋~三・材木~六・小薬製造~ニ・小間物~三・文房具~三・其ノ他雑業二三八戸ナリ」

 仕入先
 大阪(呉服・太物・金物・漆物・小間物)京都(呉服)備中(足袋)広島(金物・畳表)内子(呉服・太物・綿)

 販路
 松山、郡中、大瀬、佐礼谷、広田、立川、満穂

 産物・販路
 筍・栗・柿=広島、呉、高松、門司、神戸、大阪。松縄・棕梠皮・炭=郡中、三津、桧山。薪・材木・竹・板=郡中、上灘地方。

 昭和三八年に商工会の組織等に関する法律に基づいた中山町商工会が設立され、小売業の組織化、販売促進のためのスタンプの発行等が実現し、商店連盟、名店会の設立がなされた。昭和四五年国道五六号線の改修、昭和六一年JR内山線の開通があり、モータリゼーションの発達に伴い、郡市への時間も短縮し、消費者ニーズも変化してきた。その対応策として、平成五年中山町商業協同組合を設立し、購買力の流出を防ぐために、共通商品券を発行するなど事業活動を展開しつつ、一方第三セクター方式による、有限会社中山町特産品センター等を設立。商業・農林業一体化を強化して、都市との交流を図っている今日である。
 次の表は、現中山町商工業の職種別一覧表である。

表3-1 重要商品価格表

表3-1 重要商品価格表


企業別分類表

企業別分類表


表3-2 商業の推移

表3-2 商業の推移