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中山町誌

二、 電信・電話・報道

 電信
 電信機が我が国に初めて伝わったのは、安政元年(一八五四)二月、ペリーによる幕府への献上品としてであった。以来電信は目覚ましい発展を遂げ、明治八年には、北海道から長崎まで電信網ができた。また四国地方は明治一〇年、丸亀―高松間で電報取扱いを開始したのが電信事業の始まりである。さらに愛媛県内は明治一一年、丸亀から電信線が分岐し、今治・松山・高知へと達し、電信業務を開始したのである。
 県内の電信網はさらに拡大し、明治三六年六月には、電信回線図に示すように七回線四分岐線か形成された。
 中山郵便局が電報業務を開始したのは、明治四三年一二月一日からである。

 電話
 日本最初の電話による通話は、明治一〇年(一八七七)一二月二二日工務省と宮内省の間で行われた。その後、官用通信や鉄道において実用化されていった。
 愛媛県では明治二一年(一八八八)六月一二日、愛媛県庁―松山警察署―松山監獄間に架設されたのが最初である。続いて同年一〇月二八日、伊予鉄道が松山停車場(現松山市駅)―三津停車場間に開業し、鉄道専用電話を松山―三津口(松山市古町)―三津の各停車場を結んで開設した。しかし、電話交換による一般公衆用は中央に比べて大幅に遅れた。愛媛県で一般公衆を対象とする電話交換局は、明治四一年三月二六日松山市に創設された。開始当初の松山郵便局内設備は、磁石式単式交換機三台で加入数は一八三であった。
 本町では、大正一〇年三月一一日旧中山村の中山郵便局内に四二台の電話ができたのが初めてである。
 当時、電話の設置ができるのは局の周辺に限られ、泉町・豊岡・東町の範囲くらいであった。新設経費は、六、九八一円で、村費三、〇〇〇円、寄付金三、九八一円を合わせてその資金に当てた。
 同年四月二六日、中山郵便局の電話交換が始まり電話開通の第一歩を踏み出した。
 その後少しずつ増設され、昭和一五年には七〇台になったが、二〇年には第二次世界大戦のため、四五台に減少した。
 佐礼谷局においては昭和二九年七月一日、初めて電話交換を行い四五台の新設が行われた。
 昭和二九年頃から、電話に対する需要度は急速に高まり、農村公衆電話の設置に伴ない、集落部への普及が急激に進んでいった。
 今や現代人にとって電話は、生活にビジネスに必要不可欠の通信手段である。近年は、加入電話に加えて携帯電話・自動車電話が普及しているし、電話回線を利用した機能も、留守番電話・キャッチホン・ファクシミリ等々多岐に広がっており、これを可能にしているのが光ファイバーケーブルの開発である。
 中山町でも一世帯当たり一・二一台に増加し、電話創業から一世紀、日本の電話は新たな段階に入ったといえる。まさに世界は会話する時代だ。

 伊予中山電報電話局
 昭和四五年九月、電話交換の自動化に伴ない、中山町大字出渕二番耕地一二五番地一(東町)に伊予中山電報電話局が開局し、初代局長に高野武久が就任した。局舎は鉄筋平屋建一七八平方メートルで職員数四名で出発した。
 この開局によって中山町の電話は全国即時網に編入されることとなった。
 昭和四六年一一月に三級局となった。この時期佐礼谷郵便局では手動で交換を行っていたが、昭和四七年一月に、佐礼谷電話交換所が新設されサービスを開始したことにより、佐礼谷管内も自動化された。
 昭和六〇年四月一日、電電公社は民営化され日本電信電話株式会社(NTT)が発足し、伊予中山電報電話局は同六二年八月一日、伊予電報電話局へ業務移管されて閉鎖された。歴代局長は次のとおりである。
 また昭和六二年五月、秦皇山に秦皇無線中継所が開設され運用を開始した。

 報 道

 ラジオとテレビ
 日本における放送の開始は大正一四年(一九二五)で、東京放送局が正式に放送を開始したのが同年三月二二日である。この時の受信契約数は五、四五五件であったとされる。
 愛媛県では、松山放送局が昭和一六年(一九四一)三月松山市小栗町に開局した。民間放送はラジオ南海が昭和二八年一〇月、放送を開始した。
 ラジオが最初に本町に入ったのは、昭和二年頃数台購入されたということであるが、確たる資料は得られず不明である。
 戦後急速に普及し、昭和四四年に最高に達したが昭和三四年頃からテレビの進出により、テレビがラジオにとってかわるようになった。
 テレビジョン放送は昭和二八年二月に開始されたが、中山で視聴されるようになったのは同三一年であった。
 昭和四五年頃からテレビはカラーテレビの時代に入っていったが、本町では、山にさえぎられいわゆる難視聴地域が多く、この解消を目的として昭和四三年に秦皇山にNHK中山UHFテレビジョン局が建設され、良質な画像が受信できるようになった。しかし山の多い中山町では、これだけで受信の困難な地区の解消はできず、昭和四五年に佐礼谷へ共回安信施設を整備したほか、梅之木・梅原・佐礼谷西・日浦・平村等順次難視聴解消対策が進められ、現在ではほとんど全町で良質の画像が受信できるまでになった。また民間放送局においても秦皇山へ中継局を建設して視聴者サービス向上対策を進めた。

 新聞
 情報化時代といわれる現代社会にあって、われわれは一日の行動のはじめとして、目を覚ますとまず新聞に目を通すことから始まる。情報源として新聞の役割は重要である。
 愛媛県での新聞発行は明治九年九月一一日、本県御用愛媛新聞が松山市魚町の共耕分社から創刊されたのが最初とされる。その後愛媛の新聞は、明治・大正・昭和の変遷を経て、昭和一六年一二月に、海南新聞・伊予新報・南予時事新聞の三紙統合がなされ、「愛媛合同新聞」が発足したが、昭和一九年三月一日「愛媛新聞」と改題され、以来県紙として県民に親しまれている。
 中山町でいつ頃から、どのくらいの部数の新聞が購読されていたかは正確な資料がなく不明であるが、大正一〇年頃、朝日新聞一五、毎日新聞六、愛媛新聞四、海南新聞二、時事新報二、程度の部数が読まれていたとされる(『中山町誌』―昭和四〇年刊)。
 昭和一〇年頃、愛媛新聞で一〇〇部、中央紙で五〇部程度であったものが戦後急激に増加し、昭和三九年には一、三〇九部となり住民一六人に一部の割合で読まれるようになった。さらに昭和五〇年には一、四五四部と増大したが、昭和五六年には世帯数の減少、活字離れ等もあって一、二三五部となっている。
 昭和三九年と平成六年の種類別購読数は次表4-9のとおりである。

 部落有線放送施設
 昭和二三年頃から、部落内の出資や有志の寄付などによって部落有線放送施設が整備された。
 最初は、栗田二区・村中区等に設置され、ラジオ体操の拡声放送、部落内の連絡放送等と共に、昼食時や夕食時には楽しいメロディが流れ、明るい農村を象徴する施設として普及していった。
 その後、佐礼谷地区と中山地区においても次々と放送施設ができあがり、区内の連絡事項や、電話の呼び出し等に利用され、以前は太鼓等で集会の合図などをしていたものが、それに変わって放送による一斉伝達ができるようになった。
 この放送施設は、四〇年代、五〇年代と順次各部落に整備され、特に行政上の伝達や、農事放送機能をもたせ、農産物の集出荷・消毒作業の徹底等に活用され、平成元年頃には二~三の少部落を除いてほとんどの部落に整備されてきた。
 しかし同年六月、町営の農村情報連絡施設が開局して、全町へ同時放送が可能となったことから現在その使用頻度は減少している。

 中山町農村情報連絡施設(無線)
 昭和六三年度農山村地域活性化緊急特別対策事業によって、中山町農村情報連絡施設が整備され、平成元年六月開局して全町ヘ一元的放送が開始された。
 この施設は、地域の産業を振興し、「豊かで住みよい町」の建設を進めていくために地域の情報を利用していくよう建設された。しかしそれだけでなく、管理運営委員会を設置して、国や県等の研究機関・気象台・流通・市況情報等を幅広く収集し、その収集した情報を分析整理し、一括情報と地区別通報に区分し、地元農業者・各農業対策班・農事組合・モニター等に伝達することによって農業の振興を図ることを目的としている。
 具体的放送計画としては、
(一)農村社会における連帯感醸成のための諸活動の通知、地域コミュニティ強化に関すること
(二)農業振興に関する事項として作目ごとの肥培管理・市場情報・病虫害情報の提供
(三)自然災害等に関する事項として台風・水害情報と気象警報及び火災発生の場合の諸情報の通報
(四)行政事務の円滑化に関する事項として保健衛生・社会福祉・教育・道路交通等に関して住民への周知
(五)都市と農村の交流に関する事項
(六)時報に関する事項
としている。
 なおこの施設は、集落ごとに町内四二ケ所に設置された屋外子局を利用して、集落ごとに各種の拡声通報を行うことができる仕組みになっている。
 事業費及び施設の規模構造は次のとおりである。
一、総事業費   一億四、九九七万円
二、主要構造物  (1)親局施設 一局(役場) (2)中継局設備 一基(秦皇山) (3)子局施設 四二式 (4)戸別受信機 一〇六戸 (5)遠隔制御局 二局(伊予中山農協・伊予消防等事務組合中山出張所)

図4-2 電信回線図

図4-2 電信回線図


図4-3 電話取扱局配置図

図4-3 電話取扱局配置図


表4-7 中山町における電話の増加状況

表4-7 中山町における電話の増加状況


伊予中山電報電話局 歴代局長

伊予中山電報電話局 歴代局長


表4-8 中山町におけるラジオテレビ台数の推移

表4-8 中山町におけるラジオテレビ台数の推移


表4-9 中山町における新聞購読状況の推移

表4-9 中山町における新聞購読状況の推移


中山町無線局運用管理規程①

中山町無線局運用管理規程①


中山町無線局運用管理規程②

中山町無線局運用管理規程②