データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

中山町誌

一、 不況下の教育

 大正九年からの経済不況はその後ますます深刻となり、企業倒産による失業者の続出や、賃金不払いは国民を不安にさせた。そして米・繭などの価格の暴落による農村不況は、昭和五年(一九三〇)に頂点に達した。このため、県内の市町村では教育費節減の一手段として、小学校の整理統合が図られた。
 中山町でも、中山尋常小学校と野中尋常小学校の統合問題が持ち上がり、野中小学校では同盟休校が行われるに至った。しかし、昭和四年九月一〇日両校存続の方向で円満解決した。
 不況を切り抜ける方策として、教員給与の昇給の見送りや、教員給与を一割減じこれを町村に寄付させる形をとった町村もあった。