データベース『えひめの記憶』
中山町誌
一、 勤務評定をめぐる問題
勤務評定(以下「勤評」と略記)については、「職員の勤務の成績について評定し、その結果に応じた措置をするよう」地方公務員法で定められている。
県教委では、これに基づいて昭和三一年(一九五六)一一月勤評実施を決定した。実施の理由とし次の五点をあげている。
1 良好な成績で勤務したとき昇給できることが公務員法や県条例で定められている。
2 優秀教員を優遇して教員の士気を高めたい。
3 教員個々の能力や技量を正しく評定して、学校内や学校間の教員組織のバランスを取りたい。
4 人はより努力する者がよりよく報われるべきだ。
5 評定基準を工夫すれば公平な評定ができる。
愛媛県教職員組合の反対
県教職員組合(以下「県教組」と略記)は、能率給の実施は職場の好ましい人間関係を壊し、それが子供の教育にマイナスとなる。また、勤評は他県に例がない、などの理由で強く反対した。
勤評を出すべきかどうか、組合員である校長は随分悩んだ。組合の意向に従おうとする者、組合を脱退して教委の命に従おうとする者もあった。また、提出された勤評も、中味は県教委の指示に忠実でなかったり、中には「勤評を出さなかったら職員の昇給が保障されない」ことに責任を感じ、辞表を提出したりした校長もあった。
難航の末、昭和三二年二月四日には周桑郡の三四人を除いて、県下の校長が提出した。昭和三二年三月の昇給発令で周桑郡の四五〇人は昇給からはずされた。昭和三二年三月三一日、周桑郡の校長も不備ながら勤評を提出したが、周桑郡の校長は全員四ヶ月間一割の減給処分を受けたということである。
第二次勤評闘争
昭和三二年度以後の勤評は内容を検討することになっていたが、良案が得られず前年同様の方法で実施することになった。これを不服とする県教組は日教組に支援を求め、国労・全逓・私鉄・電通・炭労へも協力を得ると共に、県教組は一億円の資金を用意して闘争に備えたということである。
県教組は勤評提出三日前に県下各郡市の教組へ次のような指令を出している。
1 一二月九日から一一日にかけて病人、乳児を持つ者を除く教員は全員職場に泊り込むこと。
2 地教委・自民党・理事者の行動を監視し、大衆行動を起こす態勢を取ること。
3 泊り込みによる職場集会で、評定書を絶対提出しない体制を確立すること。
県教組執行部と職場教員の感覚は必ずしも一致しておらず、「泊り込み」がどの程度実施されたか確かでない。
勤評提出日の昭和三二年一二月一〇日には、各地区で校長会が持たれ、その会場を組合員や全国組織の応援者が包囲して、散会を呼びかけたり、徹夜交渉を迫ったりする事件が県下各地で発生した。提出期日の三回に及ぶ延期の末、一二月一四日県下の提出が完了した。