データベース『えひめの記憶』
中山町誌
九、 烏帽子杜三島神社
鎮座地 中山町大字栗田甲八一〇番地
祭 神 大山積神・雷神・高おの神
例 祭 一〇月一七日
氏 子 二八戸 栗田(本郷・仁川登)
本 殿 文治元年乙巳歳九月新宮造立する。銅板葺間口二間、奥行二間四坪 明治一二年再築
幣 殿 瓦葺、間口四間、奥行二間、八坪
拝 殿 瓦葺、間口四間、奥行五間、二〇坪
鳥 居 一基 石材 寛政壬子四歳閏二月二三日五穀豊饒、寿命長久、子孫繁栄を祈願して奉建される。
玉 垣 明治一二年社殿再建と共に造られ、昭和二六年一〇月に新しく建立される。
神 木 樹齢四〇〇年を越える大杉で、高さ四一メートル、周囲四・八七メートル。
宮 司 阿部 洋
由緒沿革
考徳天皇の御宇(六四五~六五四)に、出部郷恵保子野へ大山祇命を祀る。これは今の浮穴郡栗田村の鎮座であると伝わっている。また、恵保子野山の神様ともいわれていて、この土地を開いた時からの氏神様らしい。
山の神即ち大山祇命を伊予守実綱時代に、三島大明神と号したとも、また、恵保子野を烏帽子杜と改号したとも伝えられる。社名も従来烏帽子森三島大明神と称されていたが、明治四年(一八七一)社格決定の際、郷社となり烏帽子杜三島神社と改号されたのである。なお当神社は郷社と社格決定されたからには、由緒の深いお社だと思われるが、現存する鳥居の銘によると、寛政四年(一七九二)壬子歳二月に建立されており、手水石には享和二壬戊歳(一八〇二)奉納と刻まれているところから考えると、同時代には現在の境内に社殿が建造されていたものと推測することができる。