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中山町誌

四、 晴れ食・行事食

○ 栗節句  九月九日は、栗飯か栗を入れた寿司をつくって、おいべっさんに供える。

○ いも名月  夏芋(早生の里芋)を煮て、同じぐらいの太さのだんごに、鶏肉・焼きどうふ・こんにゃくなどで炊き合わせる。それにすすきを立ててお月さんに供え、月を眺めながら食べる。

○ お社日  お社日は、おいべっさんが山に帰られる日で、早朝にもちを搗いて供える。

○ 秋祭り  秋祭りは収穫を前にした年間最大のお祭りで、客には折詰やもちを土産に持たせた。魚は祭りのごちそうに欠かせない。
 祝い膳は、ハマチの刺身、あらの吸い物、赤えいなどの煮付け、焼き豆腐、こんにゃく、里芋、牛蒡、人参の煮しめ、魚とかぶの酢づけ、ふかとこんにゃくのみがらし和え、こんにゃくと人参もしくはほうれん草の白和えなどに、ちらしずし、もち、甘酒と食べきれないほどのご馳走をつくる。
 ふかとこんにゃくのみがらしは、小切りにしてゆでたふかの身と、ゆでたこんにゃくに、いか・ほうれん草などと盛りつけて、みがらし味噌を添える。みがらしは、からしなの実をすり鉢ですって茶わんに入れ、熱湯を加えて練り、一晩伏せておき調味料で味をととのえる。

○ 籾すり祝い  祭りが終ると籾すり祝いをする。籾すりはその家の祭りでもある。手間がえや人を雇って俵詰めが終わると、神々に「炊き初穂」のおすしを供える。手伝いの人には豆腐汁や、りゅうき芋のてんぷら、大根なますなどを作り、酒を出して振舞った。

○ 亥の子  一一月の初亥の日はおいべっさんをお祭りして、亥の子もちを搗き、もちやゆのす、大根を供える。亥の日には「菜原へ入るもんぢゃない」といわれている。前日に引いた初もんの大根を二本おはしがわりに供え、新米で大根飯を炊いて供える。

○ 弁 当  山も田畑も遠い所が多いので、雨降り以外は必ず弁当を仕出した。掘立て小屋で茶をわかし、食事・昼寝などをした。弁当は、竹の「わっぱ」に詰め、それぞれ飯わっぱ・みそわっぱ、お菜わっぱと分けて一個の弁当に組み、弁当袋に入れて持ち運んだものである。
 大家族で行くときは「したみ」や「おひつ」のままで運ぶこともあり、弁当だけで充分一荷となることもあった。一家で出てゆくときは、主婦は家の仕事をして少し遅れて弁当を運んだ。
 山小屋にはその周辺に必ず「にら」や「みょうが」や「茶の木」が植えてあり、野菜の代用品としてこれらを摘んで食べ、茶は生葉を使うのが普通であった。
 よそ行きの時は、柳行李に弁当を詰めて行ったものである。アルミニュウムの弁当箱ができてからは、この竹の「わっぱ」も次第にすたれていった。