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中山町誌

二、 かまどといろり

 かまどには二通りある。その一つは「くど」であり、一つは「おかまくど」であった、この二つは全く利用を異にしている。

 おくどさん
 奥土間の片隅には通常大小二つのくどがあった。大きな方は飯炊き用で、小さい方は汁やおかず炊き用である。このくどは、枝木のような小さな薪で燃やすのが普通であったが、ほとんどが煙突を用意していなかったので、よく燃えないと煙にむせるほどであった。また、家によっては、いろりの側から座ったまま炊けるようになっていた。
 
 おかまくど
 これはくどの特別大きなもので奥土間の奥の端に造られていた。おかまくどは「かまや」といって、別棟に造っていた家もあったが、現在は家の中にあったのを外に出して、適当な場所へ移しているようである。このおかまくどは、大客のときの飯炊き、うどんゆで、いり茶、ひなあられ炒り、豆炒り、豆腐の豆炊き、味噌麦炊きなどに使われた。このかまどにも煙突がないので、煙たかった。おくどさん近くの柱には「荒神様」を祀ってある。
 昭和三〇年代に入り、プロパンガスが普及してくると、台所の改良が進み、ステンレスの流し台、調理台、水道、ガスコンロをとりつけ、冷蔵庫や戸棚を勝手よく配置し、明るく清潔な台所と変わってきた。

 いろり
 いろりはどの家も、奥の間(茶の間)の上がりはな近くに設けられた。床下地面から石築きして、その上に赤粘土を盛って拵え、普通は桜の框をもって回りを囲み、仕切りとしたものである。その後昭和四〇年代に入って、石油ストーブが普及していくにつれて、いろりは次第に改良されて、切りごたつに変わっていった。そうして昭和五〇年代に入るとホームゴタツが出廻りはじめ、切りごたつも次第に姿を消し、現在ではほとんど見かけなくなった。
 いろりには必ず自在鉤を吊った。自在鉤は、長い竹筒の中に鉤木を通し「さる」で止める仕組みのもので、さるは魚形に造られ、火難除けとした。
 炭火を使う時には、「ごとく」などを用い、火ばしも欠かせない用具であった。昔は小物に穴を開けるにも焼火ばしなどを使ったものである。
 いろりの大きさは、三尺角が普通である。いろりのある奥の間は吹き抜けで、天井がないのが普通で、もしあっても煙出しが切り空けられた造りとなっていた。