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中山町誌

一四、 一一月

 亥の子
 一一月の亥の日の行事。現在も残っている子供の大行事である。この日子供達は、石の五輪さんの亥の子、タイヤで作った亥の子、新藁を束ねて作った「藁すぼ」「藁ぼて」の亥の子で各家を搗いて回る。道路が舗装されるまでは、五輪さんの亥の子が多かった。
 子供達は、男女に分かれ(一緒の地区も多い)「亥の子を搗かしてください」と了解を得て、亥の子唄を歌いながら搗く。「お亥さんという人は、一に俵ふんまえて…」(唄はわらべ歌の項参照)と歌い、搗き終わると、家の人から金品を貰う。子供達は最後に「ここの屋敷はよい屋敷、大判小判がころげ込む」と言って帰っていく。
 貰った金品は、宿や集会所に持って帰り、上級生がそれを分配するのである。亥の子には上級生の家などを宿とし、簡単な接待をするところもある。昔は事前に家を回ってお金を集めておき、搗き終わってから宿に帰って金品の分配をしたところもあった。
 また、中山町には特別な亥の子祭りがある。
 安別当地区では、亥の子の日は子供神輿が出ていた。早朝から天神さんを出て部落の半分を廻り、学校から帰って残り半分を廻ったという。現在は人数が減少して行われていない。
 竹之内地区では現在も神輿が出る。ここでは「亥の子宿」が順番で決っており、親がお接待をしてくれるが、平成六年から藁すぼに変わった。上長沢では小さい神輿が出て、「お亥の子さんが舞い込んだ。ワッショイワッショイ」と掛け声をあげる。
 亥の子の日は、恵美須様に大根・ゆずなどを供えることが多い。また、亥の子の日にコタツの入れ始めをすると火事がおきないともいわれている。

 わた着・萩立て一五日
 一一月一五日の行事で子供の成長を祝うものである。新生児には、母親の里より「初着」を贈られる。現在の七・五・三に当たるものである。
 この日を「萩立て一五日」ともいう。樵り初め、鍬初めのご幣立てに用いる萩を山から刈り取って帰るのである。これは誰が取りに行ってもよい。この萩は束にして庭先に立てておき、正月の雑煮を炊く一年の最初の火の焚きつけにもするのである。
 また、「萩立て一五日」というので、「おはぎ」を作って神前に供えたところもある。以上現在も行われているが、戦後やめた地区もある。