データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

中山町誌

二、 小四国

 いかに大師信仰が篤くても、本四国を巡礼することは交通不便な昔において容易なことではなかった。そこで本町では各寺院を中心に小四国八十八ヶ所が作られた。
 本四国に行きたいと望んでも経済的理由、健康上の問題、仕事の都合等で行けない人達の為に、大師を信仰する人達が集まって大師像を作り八十八ヶ所の札所を設けたもので、現在もその習慣が梅原寺傘下、大興寺傘下、盛景寺傘下に残っている。
 永木地区の八十八ケ所は、信仰が篤かった福住部落の中岡吉太郎の発起により明治三年から五年頃に完成したという。この大師像には札所番号・寺名・奉献者の姓名が刻まれている。
 他の寺院関係については発起人・建立年は定かでないが、大興寺関係分には享保時代の年号(一七一六~一七三六)が刻まれている点から察するに、永木地区よりも先にできていたと考えられる。佐礼谷の誓明寺にある八十八ヶ寺大師像は、明治二〇年前後に寄進者が縁者の供養のため奉納したものであり、巡礼参拝の目的ではないが、春・夏の大師縁日には近郷の町村から参拝者があった(和田住職談)。
 また盛景寺には明治一九年(一八八六)(当山二五世震嶺和尚代)当寺を起点に西国三三番霊場もできたが、昭和五五年山門横一ヶ所に遷座された。

図6-2 山四国八十八ヶ所順拝路 (梅原寺関係)

図6-2 山四国八十八ヶ所順拝路 (梅原寺関係)


図6-3 小四国八十八ヶ所順拝路 (大興寺関係)

図6-3 小四国八十八ヶ所順拝路 (大興寺関係)


図6-4 小四国八十八ヶ所順拝路 (盛景寺関係)

図6-4 小四国八十八ヶ所順拝路 (盛景寺関係)