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中山町誌

川崎 正蔵 (かわさき しょうぞう)

 氏の父親・正吉は明治後期、尋常高等小学校の教師をしていた。そのため氏も父親に伴われて転々と住居を移って行った。明治三六年(一九〇三)生まれにて、明治四四年広田村高市小学校へ入学した。そして大正七年四月中山へ移り、中山尋常高等小学校高等科一年に入学した。一学期間だけ中山村にいて二学期より他校へ移って行った。中山村では氏の父親は代書業をしていたらしい。
 氏は若い折りは相当苦労したらしいが、財界の動きを見抜く鋭い識見に富み、一代にして素晴しい成功を遂げた。そして、幼小の頃学んだ高市小学校ヘプールをはじめ奨学資金として高額の浄財を寄付し、広田村学校教育に多大の貢献をしている。これに相前後して中山小学校へも昭和四一年教材費として多額の寄付をし、引き続き中山町内全小中学校にもプール建設資金として多額の浄財を寄付した。
 また、中山中学校校舎改築資金としても多額の資金を寄付し、中山町学校教育に多大の貢献をした。
 その後、東京都高井戸に住居を構えたが、関東一円にネットを張って実業界に活躍している息子さんに万事を託し、氏は天寿を全うした。