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中山町誌

中丸 マキノ (なかまる まきの)

 明治二一年(一八八八) 一月七日、山口県吉敷郡(小鯖村)渡邊家に長女として生まれ、明治四三年門司市曹洞宗慈雲寺の俊鴨和尚と結婚した。大正四年門司市より法類に当たる中山町泉町大興寺へ移り、俊鴨住職夫人として大興寺内部万端をよく修め、寺門の興隆を図った。
 マキノ夫人は時代の先見性に富み婦人の地位向上に努めた先覚者である。自覚と努力の立場からいろいろ同志を作り、生け花修業の中心となって勉強し合った。また中山町婦人会活動の創始者ともいえる人で、国防婦人会長として銃後の守りの指導や出征兵士の見送り、留守家庭の慰問激励等率先奉仕に当たった。
 中山町は一時期里子制度が盛んであったが、これも発起人となって町内有志と相図り、不遇の子供の里親となって養育した。町内有志の里親が里子を成長させ社会に送り出した子供は数知れない程である。また外交的手腕も優れ県の有名人との交際も広く知名度も大変高かった。中山町は現JR中山線誘致に全力を挙げて対応したが、この運動にも絶大な献身的努力を捧げた。昭和四二年七月一四日没、享年八〇歳。叙従六位勲五等。