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双海町誌

第二節 縄文時代

 およそ一万二〇〇〇年前ごろに氷期が終わるとしだいに温暖になり、海面も上昇して、約八〇〇〇年前には、現在の日本列島の形になった。この時期から紀元前五〇〇年ごろまでの数千年の間を縄文時代という。
 この時代には気候の変化が自然環境を変え、大型動物は絶滅し、猪や鹿・ウサギなどの中小動物が増えていった。森も針葉樹林から落葉広葉樹林へとかわり、海岸には砂浜が発達したため、魚介類が多く見られるようになった。そのため人々は、より効率的な狩猟を目指し、弓矢や斧・釣り針を作った(磨製石器)。更に土器が発明され、採集物の貯蔵や煮炊きができるようになったため、生活様式は徐々に変化し始めた。住居は、木材を加工して作る竪穴住居があらわれ、人々の生活は移住から定住へとかわり、しだいに集落規模も大きくなっていった。更に、定住集落同士の交易も盛んになり、長野県産の黒曜石が関東や東北の各地で見つかるなどその行動範囲は、かなり広かったと考えられている。
 この時代は、生活が自然の力に左右されることが大きかったので、太陽や星・山・川などのあらゆる自然物や、雷などの自然現象に精霊をみとめ、崇拝する信仰が盛んであった。縄文後期になると、呪術のための道具を用いた祭祀や、豊かな自然の恵みを願った土偶作りも行われていた。
 縄文人たちの努力によって捕獲技術などが進歩し、人口は増え、縄文中期には日本列島に約三〇万の人々が暮らしていたと推定されている。しかし、せまい範囲で人口が増え食糧不足となったため、人々は狩猟や漁労・採集に加えて、しだいに野生の食用植物の栽培を工夫するようになった。前期から中期の遺跡からは粟・栗・ヒエ・イモなどが発見され、後期の遺跡には小豆や麦などの雑穀類や、最近では、稲の畑作が行われていたことを示す遺跡も見つかっている。このことから分かるように、縄文時代後期は、次第に農業生産によって食料を安定する社会へ移り変わる準備が進んでいった時代である。