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双海町誌

第七節 双海のまちづくり

一 まちづくりの成果
 一九八七(昭和六十二)年をまちづくり元年と定め、「第一次産業の振興を軸とした定住と交流のまちづくり」を基本理念に「人づくり」「拠点づくり」「住民総参加の日本一づくり」を、戦略プロジェクトに掲げ、住民と行政の協働によるまちづくりが始まってから約二〇年が過ぎた。その成果は関係各章で詳しく述べられているので割愛するが、主なものを列記し補足説明する。

(1) まちづくりとCI戦略
 まちづくりにおいて意匠を統一し、双海という町を内外に情報発信するCI(コーポレート・アイデンティティー)戦略は大きな成果を上げた。全国公募して選んだキャッチフレーズやシンボルマークを冠した看板や印刷物、映像媒体などによって町のイメージアップが図られた。

(2) まちづくりと夕日
 昭和四十年代、日本は高度成長全盛期で、右肩上がりの成長が続いていた。しかし、その後の二〇年間で社会環境は大きく変化した。バブルがはじけ、競争から共生へと時代の潮流が変わったのである。本町が夕日によるまちづくりを始めたのはそのころであり、時代背景の後押しによって大きく進展した。そのきっかけは「夕焼けプラットホームコンサート」であったし、大きく成長させたのは「ふたみシーサイド公園」の整備であった。

(3) まちづくりと特産品開発
 特産品開発は、一九九五(平成七)年二月、「ふたみシーサイド公園」の管理運営を目的に設立された有限会社「シーサイドふたみ」を中心として行われてきたが、ジャコ天や夕焼けソフトクリームなどの人気商品を開発した。それらを販売する特産品センターも好調な運営を続けており、十期連続黒字で出資者に五パーセントの配当を行っている。

(4) まちづくりと人づくり
 本町の人づくり計画である海外派遣事業で海外に派遣された人数や国々は次のとおりである(国内研修は紙面の都合で割愛する)。
 本町が進めてきた「人づくり十年計画」及び「新二十一世紀人づくり計画」は、合併によって双海町という自治体が消滅する二〇〇四(平成十六)年度をもって一応の終焉を見ることになる。一八年間続いたこの事業の成果を認め、存続を望む声は多い。
 次に一八年間の総括を掲げる。
① 本町の人づくりがここまで長く続いたのは、「人づくり十年計画」というしっかりした行政施策が町民に対して意思伝達されたことである。町のために燃えるような人を一年で一〇人、一〇年で一〇〇人育てるという長期ビジョンによって事業は進められた。
② 人づくりはソフト事業の最たるものだ。自治体の財政が厳しさを増すなかで、人づくりの予算の確保は難しい。ふるさと創生資金の一部で人づくり基金を創設したことも事業継続につながった。
③ 人づくりの海外派遣では、特に「安全」の問題がある。本町出身者で、かつて農業青年派米研修で二年間外国研修を積んだ経験のある人の献身的援助が大きな力となった。人づくりにおけるプログラムサービスやトラベルサービス・渉外サービスは、海外派遣事業の根幹を成すものである。
④ 人づくり事業にとって事後活動は大きな意味を持っている。本町では、まちづくりシンポジウムや公民館大会・各種の会合や集会で盛んに発表している。自主団体である海外派遣協会「創快塾」を立ち上げ、まちづくりの支援をしている。
⑤ 人づくり事業への役場職員の参加も見逃せない。役場の意識と行動が変わらないとまちは変わらないといわれるように、役場の変革はまちづくりにとって重要なキーポイントである。町民とともに参加した一〇人を超える派遣経験職員の存在は、まちづくりの名サポーターとして期待される。
⑥ 人づくりは、トップたる町長の開かれた心に負うところが多い。「百年の大計は人を育てるにあり」と認識し、人に投資する信念と、育った人の活躍する場と機会を提供することも、次なる人を育てる土壌となる。

(5) まちづくりと花づくり
 本町は人と自然の織り成す美しい花々で年中彩られている。二○年前には想像もつかなかった光景である。エプロン会議が「町を美しくしたい」と願って始めた花づくり運動は、町内各地に広がり今日の基礎を築いているが、特に「菜の花畑」や「水仙畑」は県内でも人気のスポットとなって多くの観光客を集めている。

(6) まちづくりと拠点づくり
 「ふたみシーサイド公園」「ふたみ潮風ふれあい公園」「しもなだ運動公園」の三つの大型プロジェクト事業は、本町のまちづくり行政にとって大きな投資であり、町のイメージが一変するほどの画期的な事業であった。企画立案から事業実施に至るまでの経緯や、一九九五(平成七)年より順次オープンしてから今日までの運営には多くの人が関わってきたが、その先見性と効果は高い評価を得ている。


二 まちづくりのこれから
 本町の二十一世紀を志向したまちづくりは、平成の大合併といわれる一市二町の合併によって一応の終息をみるが、双海地域事務所が統括するエリアにおけるまちづくりは、今後も住民と行政の協働と参画によって続けなければならない。
 これまでのまちづくりで成し得なかった、上下水道の整備や学校統合といった町民生活に身近な問題への取組みはもちろんのこと、地域の活性化を目指した夢あるまちづくりも重要である。ここでは既にその方向が示され具体的な取組みが始まっているグリーンツーリズム及びブルーツーリズムについて述べておきたい。
(1) グリーンツーリズム
 これまでのまちづくりが、ややもすると交流人口の往来が激しい海岸国道三七八号を意識したものであったのに対し、グリーンツーリズムはふたみシーサイド公園の集客力を生かしつつ、整備の進みつつある県道双海・広田線を基軸にして交流する構想であり、既にその方向性に基づいて翠小学校を拠点としたグリーンツーリズム計画が具体的に進みつつある。
 翠小学校の周辺には、観光いちご園が四園あり、全体で約一万人の集客実績ができている。その周辺には、モモ・温室ミカン・トマト・野菜など、平地の特性を生かした農業が営まれ、グリーンツーリズムに必要な条件に恵まれた将来性の高い地域である。上灘川は県営事業で環境に配慮した石積み護岸の整備も進み、二〇〇四(平成十六)年度には翠小学校の近くに農村の原風景ともいわれる水車小屋が建設された。また、本町の三四の集落ごとに設置された集会施設を活用して、滞在型体験宿泊を模索したり、空き家の活用についても見学調査が行われた。グリーンツーリズムの体制は整いつつある。
(2) ブルーツーリズム
 海を生かしたブルーツーリズムは、漁業の振興と活性化を目指すものであり、観光漁業への取組みを積極的に行う計画である。なお、シーサイド公園にはタラソテラピーに着目した温浴施設などの整備に高い関心が集まっている。また、二〇〇四(平成十六)年度に整備されたバリアフリー木製橋や童謡の小路も、新たな関心を呼ぶものと期待されている。
 下灘地区では、漁港整備計画に沿って、加工場施設の建設が計画されている。

双海町海外派遣一覧

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