データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

双海町誌

第三節 新しい農政①

一 概   要
 我が国の戦後の高度成長は、主として工業分野での技術革新によってもたらされたものだが、農業においても、機械化・効率化と生産性の向上を目指して様々な努力が重ねられた。一九六一(昭和三十六)年以降公布施行された農業基本法と果樹振興法は、米麦中心の耕作から畜産や果樹栽培にも生産の範囲を広げ、健全な自立経営農家を育成することを目的とした。
 しかし、飛躍的に成長した重化学工業や製造業に従事する人々所得と農業従事者の所得には大きな格差が生じ、社会構造の変化による農村の過疎化や専業農家数の減少などの問題を抱え、日本の農業の前途は必ずしも明るい見通しばかりではなかった。特に、零細農業地帯という宿命的なハンデを背負う双海地域にとって、それらの不利な条件を克服して農業の自立経営を実現することは、極めて困難な課題であった。
 一九五三(昭和二十八)年の耕耘機導入、昭和三十二年のテーラー導入といった出来事は、当時の双海地域の各農家が農業近代化のために絶えず努力を傾注していたことの表れだといえる。

二 農業委員会
 戦後まもなく制定された農地委員会、農業調整委員会、農業改良委員会は、それぞれに一応の成果をおさめた。その実績の上に立って、農業基本法に示されている目標を達成するために、地域の農民を中心とするいっそう強力な組織が必要とされるに至った。こうして第一〇回国会において、農業委員会法が成立し、前述の三委員会を統合して、新しい農業行政に参与し得る組織を設立させることになった。
 一九五一 (昭和二十六)年七月二十日、全国一斉に市町村農業委員会委員の選挙が実施され、公選された委員と農業団体及び議会の推薦による委員を合わせ、定数二〇人をもって会が発足した。
 昭和三十年、上灘町と下灘村が合併して双海町が誕生し、新たに双海町農業委員会が発足した。


歴代代表者氏名

歴代代表者氏名


下灘村農地委員会・下灘村農業委員会

下灘村農地委員会・下灘村農業委員会


双海町農業委員 1

双海町農業委員 1


双海町農業委員 2

双海町農業委員 2


双海町農業委員 3

双海町農業委員 3


双海町農業委員 4

双海町農業委員 4


双海町農業委員 5

双海町農業委員 5


双海町農業委員 6

双海町農業委員 6


双海町農業委員 7

双海町農業委員 7


双海町農業委員 8

双海町農業委員 8