データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

双海町誌

第一〇節 特用作物

一 タ バ コ
 双海地域で葉タバコの栽培が始められたのは、一九四六(昭和二十一)年のことである。当時の詳しい記録は残っていないが、上灘の高見、粒野地区を中心に上灘から下灘へと順次普及していった。 終戦後の食糧難時代を乗り切った一九五一 (昭和二十六)年ごろから、畑の夏作として従来のサツマイモに代わって葉タバコが植え付けられることが多くなった。特に盛んだったのは上灘で、上灘農協内に上灘煙草耕作組合が設立され、一〇アール当たり一〇万円程度の総収入を得るようになった。後年、上灘がミカン栽培で下灘に一歩出遅れたのは、葉タバコに力を入れたことが原因とさえいわれた。
 生産状況の推移は次表のとおりだが、一九五五(昭和三十)年を最盛期として、以後はしだいに減少し、ミカン栽培に移行していった。

二 そ の 他
 過去のある期間、特定の農家によって栽培されたが、地域全体の産物とならずに衰退・消滅した作物を次にあげる。

除 虫 菊
 一九三五(昭和十)年ごろから数年間、主にミカン畑などの巾作として栽培された。

ラ ミ ー
 一九三五(昭和十)年から一九四九(昭和二十四)年ごろにかけて栽培された。特に戦後の一時期には繊維資材として需要が多く、山畑の隅まで利用して栽培された。

コンニャク
 戦前から自給用として各農家で作られていたが、一九四七(昭和二十二)年ごろから約五年間、ミカン園などを利用して大量に栽培され、阪神方面に出荷された。



葉タバコの推移 1

葉タバコの推移 1


葉タバコの推移 2

葉タバコの推移 2