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双海町誌

第五節 漁港の整備

 双海海域の漁業は前述したとおり、近代においては上灘は小網を中心に、下灘は上・下浜を中心に漁業集落を逐次形成してきた。しかし、沿岸漁民にとって致命的なものは、港が無いことであった。波浪時の接岸は、家族・近隣あげて命がけの作業であり、台風時には船のぽし場から県道辺まで揚げて係留したのである。
 後年動力船になってからは、台風の都度長浜港や郡中港へ避難した。当然漁港設立の声が高まり、上灘漁港は一九五〇(昭和二十五)年から、豊田漁港は突堤復旧の名目で一九四九(昭和二十四)年に着手し、漁港としては一九五一 (昭和二十六)年から着工した。それぞれ十余年の歳月を要した。大規模改修工事によって、出航や帰着も容易になり、通常の波浪時は港に係留が可能になった。
 一九五〇(昭和二十五)年、高野川漁協は、高野川地区への漁港設立を図り、第一種港の認定を受けた。現存する大突堤を延長し、出口地区沖まで歪曲して港とする計画であった。年々の継続事業で突堤を延長してきたが、一九五五(昭和三十)年の町村合併や漁協の合併により上灘漁港を優先して完成させることとなり、未だ事業は進展していない。
 上灘・豊田漁港は、昭和四十年代に漁船の増加や大型化に伴い、港が狭くなり、それぞれ西方に拡張工事が実施された。
 上灘漁港は、一九五一 (昭和二十六)年の第一次漁港整備計画以来、九次にわたる漁港整備計画によって、東西防波堤や物揚場、荷捌き所、冷蔵庫、給油施設等を整備してきた。特に、一九七三(昭和四十八)年から一九八一 (昭和五十六)年の八年間、事業費約八億六〇〇〇万円を投じて実施した第五次・第六次工事では、西防波堤の拡張を行い、同時に、構内道路の整備や、物揚場、船揚場の増設を行った。また、同時期から上灘漁業協同組合が事業主体となって、市場や倉庫の建設(昭和五十三年)、漁村センターの建設(昭和六十二年)、共同漁具倉庫の建設(昭和六十三年)を行い、共販体制の強化、漁村の活性化、漁港周辺の整理整頓を図ってきた。一九九四(平成六)年からの第九次工事では、シーサイド公園用地の埋め立てのため西方への拡張が困難と
なり、上灘川東方の宮崎に防波堤や護岸、道流堤、泊地、物揚場、船揚場の造成を行った。工事は二〇〇五(平成一六)年度に完了した。
 豊田漁港は、一九五一 (昭和二十六)年の第一次漁港整備計画以来、九次にわたる漁港整備計画によって、荷捌き所、冷蔵庫、漁船修理場、給油施設等が整備されてきた。特に、第五次漁港整備計画に併せ、漁民の住宅用地の不足を解消するため、下灘漁業協同組合が事業主体となって七一一〇平方メートル、八〇戸分の漁民団地を造成した。また、一九七八(昭和五十三)年二月に策定した漁業集落環境整備事業によって、公園・排水施設・集落内道路・水産飲雑用水施設も完成した。当時は西日本でも有数の漁港・漁業集落として注目を集めた。その後、漁港機能の向上を図ることを目的に、第九次漁港整備計画において、物揚場、野積場、漁具保管修理施設用地、加工場用地、廃棄物処理施設用地、漁港環境整備施設用地、漁港厚生施設用地、道路用地、護岸等の整備を行った。工事は一九九四(平成六)年度に着工し、二〇〇三(平成十四)年度に完了した。


上灘漁港の整備工事

上灘漁港の整備工事


上灘漁港修築計画平面図

上灘漁港修築計画平面図


上灘漁港平面図

上灘漁港平面図


豊田漁港改修事業計画平面図

豊田漁港改修事業計画平面図


豊田漁港平面図

豊田漁港平面図


豊田漁港の整備工事

豊田漁港の整備工事