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双海町誌

第五節 商工会

一 双海町商工会の発足
 上灘商工会の発祥の年は定かではないが、前身である商工会の記録は残っている。一九一六(大正五)年、製材業の西岡政良が初代会長となって業者の親睦と福利を目的とした上灘商工会が発足したという。
 当時は交通の便も悪いうえに業者数も少なく、旅館業や製蝋業が栄えたぐらいで、商業は比較的のんびりとした営業をしていた。
 しかし、一九三七(昭和十二)年に日中戦争が勃発するとともにしだいに物資が不足し、営業も困難になっていった。太平洋戦争が始まると、ますます物資は不足し、国家総動員法下で人手不足も重なり、営業はほとんど困難となった。特に衣食を取り扱う業者は国家の統制下に置かれたため、転業又は廃業を余儀なくされ、商工会も自然消滅のやむなきに至った。
 昭和二十年八月に終戦を迎えると、翌二十一年ごろから新しく営業を開始する者、商店を復活する者が増加し始め、商工会復活の声も出始めた。
 昭和二十二年、上灘商工会は再び組織の復活をみた。
 一方、下灘商工会の発祥とその後の経過についても不明である。
 下灘商工会が、大滝孝を会長として再発足したのは、一九七三(昭和四十八)年のことである。時あたかも石油危機の真っただ中で、世界的なエネルギー不足に端を発した物資不足と物価高騰の苦境を乗り切るために、各商店が声を掛け合って再発足したものであった。
 一九七六(昭和五十一)年三月、上灘・下灘両商工会が合併し、双海町商工会が発足した。中央公民館で開催された設立総会に出席した約一〇〇人の会員は、中小規模事業者が一体となって地域経済の課題を克服し、本町の商工業の発展に寄与することを誓い合った。

二 双海町商工会館の落成
 一九八三(昭和五十八)年三月、前年十一月から建設中の双海町商工会館が竣工し、落成式が行われた。当時は構造的な経済不況と過疎化の波のなかにあり、商工会活動もやや停滞気味で、将来に不安をのぞかせていた。
 そうしたときに商工会員の力を結集して本町の商工業の振興・発展を図るためには、これまでの灘町集会所に設けられていた事務所では手狭であるため、思い切ってより近代的な感覚と機能的な内容を兼ね備えた拠点施設を建設してはどうかとの要望に応えたものであった。
 落成した会館は、鉄筋コンクリート造り二階建てで、建築面積が延ベ一九一・四平方メートル、一階が事務室になっており、各種資料が備えられ、会員の便宜が図れるようになっていた。また二階は、四〇畳敷きの和室で、様々な会合に使用することができた。更に、新築に当たって新たに電算室を設け、コンピュータの端末を設置したことにより、記帳が楽に行えるようになった。

三 現   況
 双海町商工会は、発足からまもなく三〇年を迎えようとしている。この間、講演会・研修会の開催による会員の啓発のほか、町民文化祭・夏まつりなど各種の行事・イベントを主催・後援したり、夕日のテレホンカードの発売や村おこし産品の認定などの事業に参画するなど、様々な活動を行っている。
 現況は次のとおりである。
・会員数 一三五(平成十六年三月三十一日現在)
・年間予算額 三一一三万七〇〇〇円(平成十五年度)
       *七八七万九〇〇〇円(昭和五十三年度)
・平成十五年度の主な事業
ア、総合振興事業
 ・商工祭りの実施 ・ホームペとンの作成・更新
イ、商工振興事業・建設業振興事業
 ・小売商業の近代化に関する事業 ・商店連盟・名店会への指導と助成
ウ、税務対策事業
 ・青色申告会の育成・指導
エ、会員の厚生事業
 ・会員の親睦を深め、連帯を深める事業の実施
オ、観光対策事業
 ・町当局、観光協会と協力して、地域振興のための事業を立案・実行する
カ、青年部、女性部の育成・指導
キ、商品券発行事業

上灘商工会歴代会長

上灘商工会歴代会長


双海町商工会歴代会長

双海町商工会歴代会長