データベース『えひめの記憶』
双海町誌
第五節 中学校教育①
一 概 要
(1) 戦後の中学校
一九四六(昭和二十一)年三月、米国視察団が来日し、日本の教育状況を視察。日本教育改革資料として報告書が発表され、日本は内閣教育刷新委員会を設け、教育制度改革について研究討議を重ねた。その結果、同年十二月二十七日、いわゆる六・三・三・四制を中心とする学制改革が採択され、これまでにはなかった新制中学校の設立をみた。
双海地域においては、中学校は校舎建設の間、小学校の一部を使用した。教職員は小学校、青年学校等から急きょ集めることとなり、とても各教科専門教師の担当とはいかない状況であった。当初、中学校の設置は一町村一校が建て前であった。本地域では上灘中学校と下灘中学校の二校の創立をみた。小学校との併設であったため、中学校独自の性格や目標を達成する教育が困難で、しかも小学校経営にも支障が生じた。なお、独立校舎の建設に際しては、町村当局の努力と地域住民の絶大な協力によって完成をみた。
二 本町の中学校
上灘中学校
一九四七(昭和二十二)年の創立で、由並小学校の一部校舎を利用しての開校となった。同年、翠小学校に上灘中学校分教場が設置された。
翌昭和二十三年に独立校舎として現在の場所に新設された。
校章はカミナダの「カ」の字を三つ合わせて、それを図案化したもので力のこもった協力的な学校にしようという意味を内抱している。三つの力とは、真・善・美の調和美をいい表わしたもので、知・情・意を兼ね備えた理想的な人間になろうという意味である。
校 歌
作詞・仲田庸幸 作曲・西崎茂
一 瀬戸の島浦白帆もゆるく
上灘川の流れも澄める
平和の郷に文化の礎を
今日も築かん正しく清く
上中校舎に陽もうらら
二 仰ぐ軒端に古城址本尊
牛の峯山後にそびえ
われらの胸に理想も高く
今日も学ばん力のかぎり
上中校内気もさやか
三 海に野山に希望にみちて
働く姿明日をも背負い
生産日本いざたくましく
今日もきたえん体と心
上中われらに栄えあれ
部活動状況
愛媛県大会に出場した年度は次のとおり。
サッカー部
昭和三十二・三十三・三十四・三十五・三十六・三十七・三十八・三十九・四十・四十一・四十二・四十三・四十六・四十七・四十八・四十九・五十・五十一・五十ニ・五十三・五十七・五十八・五十九・平成元・八・九・十三・十四年度
バレーボール部
昭和五十二・五十九(春季選手権大会女子優勝)、六十一・平成元・十四年度
テニス部
昭和三十・平成五・七・十四年度
吹奏楽部
平成十一・十二・十四年度
卓球部
昭和四十一・四十ニ・四十四・四十五・四十六・四十七・平成二・十四年度
ソフトボール部
昭和四十九年度
陸上部
昭和四十一・四十五・五十・五十六・五十八・六十一・六十三・平成二・三・四・五・六・八・十・十一・十二・十四・十五年度
水泳部
昭和五十一・五十二・五十六年度
県大会において上位進出した年度は、次のとおり。
昭和五十二・五十九(春季選手権大会女子優勝)、六十一・平成元・十四年度
テニス部
昭和三十・平成五・七・十四年度
吹奏楽部
平成十一・十二・十四年度
卓球部
昭和四十一・四十ニ・四十四・四十五・四十六・四十七・平成二・十四年度
ソフトボール部
昭和四十九年度
陸上部
昭和四十一・四十五・五十・五十六・五十八・六十一・六十三・平成二・三・四・五・
六・八・十・十一・十二・十四・十五年度
水泳部
昭和五十一・五十二・五十六年度
県大会において上位進出した年度は、次のとおり。