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双海町誌

第一二節 公民館

一 概   要
 一九四六(昭和二十一)年、文部省は各都道府県に「公民館の設置運営について」通達し、それに基づいて全国各地で公民館の設置や活動が展開された。
 双海地域では、一九四九(昭和二十四)年下灘村で公民館活動が始まった。下灘村は昭和二十六年に下灘小学校の講堂を学校施設から外して、これを改造して独立した下灘公民館を発足させた。上灘地区でも本町発足後、上灘中学校の講堂の一室を上灘公民館施設として、活動の拠点整備を行った。
 自治公民館は太平洋戦争前の集会所や寺・庵等を拠点として活動を開始した集落もあったが、昭和二十六年に上浜公民館・下浜公民館、翌二十七年には本村公民館が新築され、以後活動拠点は順次新築されるようになった。
 新築と書けば二字だが、大戦後の住民には大変なことであった。用地から建築すべての費用を分担金・寄付金・借入金等で対処した。更に、数日以上にも及ぶ労力奉仕(出歩)もあり、血と汗が造り出した自治公民館であった。
 学校改築に伴う不要建材を活用したり、「トラの子」として守り続けた集落林を処分して充当した集落もあった。
 自治公民館では愛媛県フィルム・ライブラリーで借用した十六ミリ映写機「ナトコ」による映写会や家庭教育学級などの各種学習講座が系統的に開催された。全集落に設置された自治公民館が、本町で一つに組織され全町挙げて「出演者は住民」という全国的にも特異な公民館活動が定着した。


二 中央公民館と地区公民館
 双海町発足当時、本町には上灘公民館と下灘公民館があり、それぞれ上・下灘地区の社会教育事業を行っていた。一九五九(昭和三十四)年には上・下灘の両公民館が統合し、双海町中央公民館が発足した。
 公民館施設としては、戦後、社会教育の拠点として学校施設を有効に利用してきた本町であったが、一九六一(昭和三十六)年に双海町中央公民館(総工費四五〇万円・四七三平方メートル)を建設した。上灘地区公民館は中央公民館内に併設されていた。昭和四十九年には、下灘地区公民館(下灘支所施設を含む。総工費六一七八万円・七三一平方メートル)を建設し、社会教育の中核的な施設として役割を果たした。その後、中央公民館は一九九〇(平成二)年の役場庁舎建設とともに、下灘地区公民館は平成十二年の下灘コミュニティセンターの落成にあわせて拠点を移した。
 現在、本町の公民館は、中央公民館と上灘地区、下灘地区公民館が条例によって設置されている。これらの公民館は、「仲間」「健康」「生きがい」を求める公民館活動の推進を目指して生涯学習社会に対応した様々な活動を展開している。特に自治公民館を中心に関係機関や団体と連携を深めながら地域コミュニティの形成を図ることを目的に、次にあげる施策に基づき主体的に取り組んでいる。
 ① 生涯学習の推進
 ② 健康・福祉の増進
 ③ 地域ボランティア活動の促進
 ④ 青少年健全育成の促進
 ⑤ 自治公民館活動の支援
 ⑥ 生活文化の振興
 ⑦ 環境教育の推進
 ⑧ 国際化社会・IT社会への対応
 ⑨ 社会教育関係団体間の連絡・協調
 ⑩ 施設・設備及び職員体制の充実

(1) 中央公民館主催事業
公民館大会
社会教育法第二〇条には「公民館は、市町村その他の一定地域内の住民のために、実際生活に即する教育、学術及び文化に関する各種事業を行い、もって住民の教養の向上、……を目的とする。」とあり、公民館は教育活動を行う機関として位置づけられている。
 双海町発足後、自治公民館未設置の集落に組織をつくり、一九六〇(昭和三十五)年度に三一の集落で自治公民館体制が整ったことを受けて、昭和三十六年九月に「公民館役職員研究大会」が開催された。一五〇人の参加者が七つの部会に分かれ、各専門部の当面している課題について話し合った。以後「部落公民館役職員合同研修会」として毎年開催され、一九八一 (昭和五十六)年に開かれた二十回記念大会から「双海町公民館大会」となり、四三年間、一度も途絶えることもなく行われてきた。参加者は公民館関係者二〇〇~三五〇人にのぽり、双海町の自治公民館活動を支え、見直し、時代に応じた課題について討論し、活動のレベルを高める役割を果たしてきた。第一回から四三回までの主な内容は次のとおりである。

双海町ソフトボール大会
 一九五五(昭和三十)年の双海町発足当時は、下灘地区では集落対抗の、上灘地区ではクラブチーム対抗の親善野球大会が開かれていた(参加チームは下灘地区一〇チーム、上灘地区一三チーム)。当初は、合併間もないころであったため、それぞれの地区で優勝チームをきめていたが、合併から三年経った昭和三十三年には上灘・下灘地区対抗親善野球大会が開催された記録がある。一方、ソフトボールは青年団が分団対抗で行っており、青年が男女でチームをともにして大会を行っていた。集落ごとの公民館組織が完成したことを受けて、一九六一(昭和三十六)年には、第一回の「部落公民館対抗ソフトボール大会」が開催された。この大会は、上・下灘両地区の地区予選を勝ち抜いたこチームずつの四チーム(小網・灘町・上浜・閏住)が双海一を競ったものであった。ちなみに優勝は小網チームであった。
 昭和四十年には、地区大会を勝ち抜いた四チームずつ計八チームで争われるようになった。毎年双海大会に進出する公民館もあれば、地区大会の壁をなかなか突破できない公民館もあった。ソフトボール大会は高齢化に伴って、参加要件の緩和などを行いながらもスポーツによるコミュニティ育成に一役買ってきた。
 一九九三(平成五)年、「潮風みどりの広場完成記念双海町ソフトボール大会」が開催され(三四チーム)、平成七年からは上・下灘地区の予選を統合した大会が定着した。そして平成十二年からはしもなだ運動公園グラウンドでの開催、平成十五年からは前年度の成績上位チームと下位チームのニブロックに分けた大会とだれでもが参加できる生涯体育の一種目としてしっかり根づいている。

双海町レクリエーションバレーボール大会
 一九六二(昭和三十七)年八月、下灘地区公民館主催で第一回「部落公民館対抗バレーボール大会」が開催(一〇チーム)されたのが、本町の女性の公民館対抗スポーツイベントの始まりであった。翌昭和三十八年五月には上灘地区(九チーム)でも開催され、この年からバレーボール大会は「日ごろの家事や山仕事に追われているお母さんたちに感謝して、一日何も考えずにのんびり過ごし、明日へのエネルギーと健康づくりに役立てて欲しい」という趣旨で母の日に行われ始めた。昭和三十九年には、各地区の予選を勝ち上がった八チーム(小網・大栄・岡・日尾野・閏住・下浜・奥東・上浜)で双海町バレーボール選抜大会が開催された。ちなみに優勝は小網チームであった。当時は、中学校のグラウンドにネットを張り、モンペ姿でバレーボールをする女性が多く、県下でも話題になった大会であった。また、交通手段があまりないころは、チーム全員が船で移動することもあった。昭和四十二・三年には、午前中に上・下灘両地区で地区予選を開催し、午後から双海大会を行っていたという記録もある。
 一九七三(昭和四十八)年には男子チームも参加(総勢五十三チーム)し、大勢の町民が一堂に集う大会になった(上灘地区では平成十三年まで男子の部が行われた)。
 一九八九(平成元)年からは、屋内での開催になり予選リーグを各学校の体育館などで、決勝トーナメントをトレーニングセンターや下灘中学校体育館で行うようになった。
 高齢化を理由に参加できなくなる小規模公民館が増えたことから、平成四年からは、直径七五センチの柔らかいゴムのボールを使用したレクリェーションバレーボール大会に姿を変えた。そして平成八年には、母の日の開催をやめ、六月に実施するようになった。
 平成十四年には、しもなだ運動公園体育館落成を記念して、上・下灘統合の双海町レクリエーション大会となった。それまでは、強豪チームと同じブロックになると抽選後からあきらめていたチームも多かったが、町内のいろいろな人とゲームができると好評であった。昭和四十三年以来三〇年ぶりに双海町一が決定した。この大会で優勝したのは下浜B公民館であった。
 双海の町技といってもよいバレーボールは、四〇年以上にわたって本町の女性の健康づくり、集落内の人間関係融和に役立ってきたことはいうまでもない。

ふれあい懇談会
 一九七七(昭和五十二)年、同和教育を公民館活動に位置づけ、自治公民館で始まった人権・同和問題の学習会であり、中央公民館が二七年間行ってきた(詳細は第一三節を参照)。

町民体育祭
 一九六一(昭和三十六)年十一月、下灘地区公民館主催の第一回総合体育祭が下灘小学校運動場で開かれ、翌昭和三十七年三月には、上灘中学校運動場で上灘地区体育祭が開催された。他の大会同様、各集落の自治公民館組織が完成したことによって大会が開催できるようになったのである。スプーンレースや仮装レース、自転車おそ乗り競争などの種目で、両地区とも盛り上がった大会となった。ちなみに第一回の優勝は、上浜公民館と灘町B公民館であった。
 昭和四十三年の双海広報第二八九号の記事には「オリンピックの年、明治百年と各地で盛り上がった行事が展開されている。スポーツの秋に見て楽しむ体育から行って楽しむ体育へと進化した町民の体育祭が、町内公民館人の手で十月十日体育の日に、上灘地区は上灘中学校校庭、下灘地区は下灘中学校校庭に於てそれぞれ盛大に行われた。『我々選手一同は定められた進行要領に基づきなごやかな体育祭にすることを誓います』と選手宣誓をして競技に移ったが、大小の公民館を問わず、数々の名演技、名プレーとベストを尽くして、なごやかな雰囲気のうちに終了しました」とある。 「仮装行列」「箱立ての人」「ケイリン」「力太郎(俵かつぎ)」「空から夕日が落ちてきた」など、体育祭には名物となった種目も多くあった。
 開始当初から四〇年あまり、老若男女が一堂に集い、公民館が掲げてきた「仲間・健康・生きがい」を求める町民風土の醸成に体育祭が果たしてきた功績は大きい。

文 化 祭
 本町では、各種スポーツイベントが下灘地区から始まった経緯があったが、文化祭は上灘地区から起こった。一九五六(昭和三十一)年十二月、上灘中学校で上灘地区文化祭が実施された。これは、合併前の上灘町時代から行われており、農水物品評会、書画展示会、食改善展示会、手芸品や生花の展示、映写会や紅白歌合戦などの催しが行われた。また、二年後の文化祭では、青年学級演劇サークルの講演や婦人会のバザーも行われている。一九五九(昭和三十四)年には、下灘地区文化祭が開催され、ミカン、カキ、雑穀、水産物、米、麦、野菜の品評会や、ラジオ南海の支援の下で上・下灘対抗紅白歌合戦などが催された。しかし、この当時の文化祭は、産業祭りの色合いが濃いイベントであった。
 一九六九(昭和四十四)年一一月三日、上・下灘中学校を会場に第一回「双海町文化祭」が開催された。このころには、自治公民館活動も軌道に乗り、公民館役員の協力のもとで本町の特徴ある文化の祭典が行われるようになった。菊花展や民俗資料展、女学院作品展など多彩な催しで、四〇〇〇人の人出で賑わった。その後、水族館や子ども相撲大会、自治公民館対抗の創作展、ふるさと大パレード、のど自慢大会、戦争展、青年団主催の前夜祭、郷土芸能の発表、健康展など、時代とともに趣向を凝らした催し物が行われてきた。本町の文化祭は、人々の生活のエネルギーであり、新しい時代を拓く力となってきた。

歴代公民館長(図表参照)


三 自治公民館
 自治公民館は、双海町発足前から下灘地区を中心に組織されていた。当時、まだ自家用車が普及していない時代に、下灘公民館の拠点施設である小学校まで住民が足を運ぶことは大変不便であった。集落ごとに学習活動を行える組織や施設を整える(自治公民館方式)ことが、学習機会の拡充と地域差解消の決め手となるため、下灘公民館主導で各集落への働きかけを行い、自治公民館の素地を作っていたのである。一方、上灘地区では文化協会を中心に俳句や短歌などの同好会が盛んで、自治公民館の組織作りは双海町発足後であった。
 一九五五(昭和三〇)年、上灘町と下灘村の合併によって双海町が誕生した。合併後、社会教育活動はできるだけ身近な施設で推進することを目指して、上灘地区でも各集落ごとに自治公民館の組織作りが盛んになり、昭和三十五年ごろまでに町内全域で自治公民館体制が整った。
 施設については、昭和二十六年に下浜公民館・上浜公民館が建築されたことを機に、下灘地区でしだいに新・改築され、上灘地区では昭和三十年の灘町公民館を皮切りに順次建設されていった。町も自治公民館建設を強力に推し進め、昭和三十六年には「部落公民館整備五ヵ年計画」を策定し、建設資金の一部を負担した。しかし、建設には各集落の住民が資金や資材を提供したり、一戸平均十日以上の労力奉仕をしたりするなど、住民の積極的協力と公民館建設への意欲が決め手となったのである。
 各自治公民館(集会所)の建設年度は次のとおりである。
  昭和二十六年…下浜・上浜
  昭和二十七年…本村
  昭和二十八年…石ノ久保
  昭和三十年 …灘町
  昭和三十一年…本谷・奥大栄(改)
  昭和三十三年…満野・松尾(改)・唐崎・両谷
  昭和三十四年…富岡・日喰
  昭和三十五年…池之窪・奥西・高見(改)
  昭和三十七年…奥・久保・岡・三島
  昭和三十八年…城之下
  昭和三十九年…閏住(改)
  昭和四十年 …高野川(改)・日尾野
  昭和四十一年…富貴(改)・本郷・柆野(改)
  昭和四十四年…小網
  昭和四十五年…奥東・東峰
  昭和五十一年…双葉
  平成五年  …満野浜
  平成六年  …満野空
  平成八年  …灘町五丁目
     ※(改)は既存の施設を改築したもの
      犬寄は中山町の犬寄公民館で活動している。
 本町の特徴である自治公民館は、集落単位(ほぽ行政区ごと)に組織され、その数は三六館となっている。「一人一学習、一スポーツ、一ボランティア」を目標に掲げて活動を行っている。自治公民館活動には次の特徴がある。

(1) 全地域に公民館組織
 全集落に公民館の組織があり、集落は小さいところでは五世帯、大きい地区では約一六五世帯で、三六の集落で公民館活動が行われている。また、どの集落にも公民館の施設があり、コミュニティ活動の拠点として欠くことのできない施設となっている。
 各公民館とも、館長・主事・会計等かおり、教養部・愛護部・厚生部・体育部・産業部・家政部・青年部・老人部の八つの専門部から成り立っている。世帯数により一部専門部を廃止したり、数人の副部長を置いたりしている公民館もある。公民館の役員数は全体で約五八〇人と本町の人口の一割以上となっている。地区住民全員が公民館活動に参画しており、文字通り住民のすべてが公民館人となっている。

(2) 受益者負担の原則
 社会構造の急激な変化によって都市化と過疎化が背中合わせに進行している本町だけに、危機意識を持つ町民はしだいに多くなっていった。自らの手で地域を立て直そうとの気運の高まりにより、公民館の維持管理運営に必要な経費は地区住民の負担で賄おうと、一戸平均三〇〇~一〇〇〇円の館費を毎月徴収し、活動費に充てている。

(3) 住民総参加の公民館活動
 本町の公民館活動における最も特徴的な事例が、男性の参加の多いことであろう。このことは全国的にも珍しく、評価は高い。この理由として、専門部長がほとんど男性が選出されていることがあげられる。
 夜間の学習活動において夫婦や家族ぐるみで参加することは、学習した内容が家庭でも話し合われることにつながり、そのことでの共通意識が生まれ、協力の成果が上がっている。
 男性が集まると、そこには生産活動や生活環境、町づくりに関する重要課題が浮き彫りにされ、一方女性が集まると、きめ細かな実践課題が生まれる。これが公民館活動の究極の目標であり。「住民の自治能力を高める」ことにつながっている。こうしたことが認められ、一九六八(昭和四十三)年、文化の日に東京において、全国七〇〇〇余の公民館のなかから双海町中央公民館が文部大臣表彰を受賞した。
 時代は進み、開発優先の社会において生活環境は都市化され、車社会となると、本町における生活圏は伊予市、松山市へと広域化されていった。生活圏拡大によって、かつて強くあった双海町住民としての連帯意識は、自然と稀薄化していった。そうしたなか、心の豊かさ、コミュニティの大切さが再認識され、公民館活動に期待が求められた。公民館は「いつでも、どこでも、だれでも」を合い言葉に、住民総ぐるみ運動へと発展していったのである。
 公民館活動は生産性の向上につながり、「もうかる公民館」「無報酬の中の報酬」「いのちとくらしに結びつく公民館」として愛され、伝統をつくっている。また、町内全公民館を巡回する移動公民館を実施し、教育長、公民館職員等が参加して住民との直接対話を実施し、住民の要望に応える行政と住民のパイプ役を果たしている。
 近年では、公民館は学習の場であることを再認識して、「一公民館一学習」と称して、住民のニーズや地域の課題を再認識しながら、年間一回は必ず学習活動を行っている。なお、年間六回程度の学習活動を三〇年以上継続している熱心な公民館も数館ある。

自治公民館
(人口・世帯数は平成一三年現在)
双葉公民館
             建物面積 132㎡
             建 築 年 昭和51年
             人  □ 235人
             世 帯 数 71世帯
本郷公民館
             建物面積 244㎡
             建 築 年 昭和41年
             人  □ 533人
             世 帯 数 166世帯
灘町公民館
             建物面積 324㎡
             建 築 年 昭和51年
             人  口 660人
             世 帯 数 229世帯
灘町5丁目公民館
             建物面積 110㎡
             建 築 年 平成8年7月27日
             人  口 200人
             世 帯 数 63世帯

城之下公民館
             建物面積 142㎡
             建 築 年 昭和58年
             人  口 82人
             世 帯 数 30世帯
               
小網公民館                    
             建物面積 137㎡
             建 築 年 昭和44年(3階部分 昭和53年増築)
             人  □ 444人
             世 帯 数 137世帯

高野川公民館
             建物面積 190㎡
             建 築 年 昭和49年
             人  口 251人
             世 帯 数 87世帯
両谷公民館
             建物面積 139㎡
             建 築 年 昭和59年
             人  口 239人(夕なぎ荘61人を除く)
             世 帯 数 59世帯(夕なぎ荘61世帯を除く)
久保公民館
             建物面積 137㎡
             建 築 年 昭和63年
             人  □ 169人
             世 帯 数 55世帯
三島公民館
             建物面積 112㎡
             建 築 年 平成15年
             人  □ 100人
             世 帯 数 31世帯

岡公民館
             建物面積 119㎡
             建 築 年 平成11年
             人  口 120人
             世 帯 数 29世帯
日尾野公民館
             建物面積 145㎡
             建 築 年 平成16年
             人  口 86人
             世 帯 数 27世帯
柆野公民館
             建物面積 118㎡
             建 築 年 昭和56年
             人  □ 125人
             世 帯 数 38世帯
東峰公民館
             建物面積 200㎡
             建 築 年 昭和45年
             人  口 51人
             世 帯 数 16世帯
高見公民館
             建物面積 155㎡
             建 築 年 平成7年
             人  □ 78人
             世 帯 数 23世帯
大栄公民館
             建物面積 122㎡
             建 築 年 昭和35年
             人  □ 104人
             世 帯 数 33世帯

奥大栄公民館
             建物面積 43㎡
             建 築 年 昭和55年
             人  □ 9人
             世 帯 数 5世帯
満野空公民館
             建物面積 73㎡
             建 築 年 平成6年
             人  □ 73人
             世 帯 数 26世帯
満野浜公民館
             建物面積 23㎡
             建 築 年 平成5年
             人  □ 73人
             世 帯 数 19世帯
富貴公民館
             建物面積 132㎡
             建 築 年 昭和50年
             人  口 85人
             世 帯 数 28世帯
松尾公民館
             建物面積 106㎡
             建 築 年 昭和63年
             人  口 36人
             世 帯 数 15世帯
本村公民館                   
             建物面積 200㎡
             建 築 年 昭和27年(空)
                  昭和48年(浜)右上
             人  口 195人
             世 帯 数 54世帯

下浜A・B公民館
            建物面積 131㎡
            建 築 年 昭和57年
            人  口 510人
            世 帯 数 146世帯
池之窪公民館
            建物面積 119㎡
            建 築 年 平成11年
            人  口 116人
            世 帯 数 28世帯
奥西公民館
            建物面積 79㎡
            建 築 年 昭和35年
            人  口 89人
            世 帯 数 25世帯
奥東公民館
            建物面積 132㎡
            建 築 年 昭和45年
            人  口 91人
            世 帯 数 23世帯
上浜公民館
            建物面積 155㎡
            建 築 年 昭和58年
            人  □ 374人
            世 帯 数 110世帯
日喰公民館
            建物面積 117㎡
            建 築 年 昭和59年
            人  口 127人
            世 帯 数 42世帯

富岡公民館
            建物面積 40㎡
            建 築 年 昭和49年
            人  □ 26人
            世 帯 数 8世帯
閏住公民館
            建物面積 83㎡
            建 築 年 平成4年
            人  口 90人
            世 帯 数 22世帯
石ノ久保公民館
            建物面積 138㎡
            建 築 年 昭和30年
            人  □ 76人
            世 帯 数 31世帯
本谷公民館
            建物面積 108㎡
            建 築 年 昭和54年
            人  口 81人
            世 帯 数 26世帯


四 生涯学習社会
(1) 生涯学習講座の充実
 生涯学習とは、生まれてから生涯を通じて学習することである。そして、学び会う文化の香り高い町を目指すものである。ちなみに、学校教育は将来に必要な力となる基礎知識を学ぶものであり、社会教育は日ごろの家庭や地域社会の暮らしと結びつく知恵や技術を会得するものである。
 公民館などで講座や学級活動に参加することや、勤務先で仕事上必要とされる技術等の必要課題を習得することは、すべてが生涯学習といえる。また、日常の余暇を利用して絵を描いたり、音楽に親しむなどの自分の趣味を行うこと、更には旅行に出かけたりすることなどすべて生涯学習である。平成の初期よりサークル活動などが盛んに行われるようになってきた。現在はボランティア活動が自発的に行われ、その人口が増えている。これらも生涯学習の一環である。

(2) 社会教育関係事業
 現在実施されている社会教育関係事業には次のものがある。
 ア 町内PTA地域活動支援事業 (町内五校の各PTA主催)
 家庭・学校・地域社会の連携によって青少年の健全育成活動に取り組み、地域社会の教育環境の浄化を図るPTA活動を促進する。
 イ 芸能発表会 (双海文化協会主催)
 一九九九(平成一一)年から、町内の文化活動、特に芸能部門を中心に日ごろの練習の成果を披露する文化の祭典である。
 ウ 双海町和太鼓のつどい (双海太鼓の会主催)
 一九九一 (平成三)年より、青少年の健全育成を目的に開催される。近隣市町村より太鼓四つの団体を招き、町内の下灘太鼓(下灘小学校)や高校生や社会人による有志の双海夢走太鼓などとの太鼓競演を行う。
 エ 双海町駅伝大会 (双海町体育協会主催)
 冬季体力づくりの一環として、一九八七(昭和六二)年より開催している。町内の各種団体が満野浜から上灘中学校までの七区間で競走する。
 オ 双海町文化講演会 (双海文化協会主催)
 一年に一度著名な講師を迎え、知識の向上と教養を高める。一九八五(昭和六〇)年から開催している。
 カ 双海町成人式(双海町主催)
 新成人の門出を祝い、大人としての自覚と責任感を育む。
 キ 双海町少年少女おもしろ教室(実行委員会主催)
 地域特有の魅力あふれる自然・文化・産業等にふれ、体験活動を行うことにより、ふるさとを愛する心を持った心身共に健全な子どもを育てることを目的とする。
 年間を通じて、「ふれあい体験」「ふるさと体験」「ふたみ再発見」の三つの重点目標を掲げて実施する(子どもゆめ基金助成事業)。実施は双海町少年少女おもしろ教室実行委員会が行い、町内の施設や自然をフィールドに年間八プログラムを実施。それぞれのプログラムを自然体験、職場体験、歴史体験、地域外体験に位置づけて、少年期の思い出作りを行っている。

公民館大会の変遷

公民館大会の変遷


歴代中央公民館館長

歴代中央公民館館長


歴代上灘地区公民館館長

歴代上灘地区公民館館長


歴代下灘地区公民館館長

歴代下灘地区公民館館長


双海町公民館組織図

双海町公民館組織図


生涯学習講座(平成十六年度実績)

生涯学習講座(平成十六年度実績)