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双海町誌

第一節 文化・芸術活動

 本町の伝統ある文化を受け継ぎ次代に伝えるためには、正しくその文化を知ることが必要である。
 美しい瀬戸の海・山紫水明のなかで、厳しくも温かい人間関係が育んだ文芸としては、由並短歌会があげられる。
 一九二九(昭和四)年、久保泰一・武智百由紀・武智量悦等の愛好家が主唱して由並短歌会は生まれた。当時指導に当たった歌人の富坂賢太郎はこの会を次のように評している。
 「会員約三〇名、この小さな海辺の町にこれほど多く歌に親しむ人があることは意外である。美しい娘さんまで交じって、神官・僧侶・農工商漁さまざまな人の集まりであることも珍しい。いわゆる歌人の歌でない真実の歌は、こういう所から生まれるものであろうと思う」
 また、一九三六(昭和十一)年に吉井勇が四国路を歌行脚した際に、同会の会員は留杖した彼の世話をしている。その時に詠んだ「春の日を八景山にのほり来て松かせ聴けはしつこころなし」の句は、八景山に石碑として建立されている。
 その後、会は衰退していたが、一九五一(昭和二十六)年、浜井秀國・武智信八州等の熱意によって上灘文化協会の文芸部として復活した。しかし残念ながら数年で解散に至った。
 三度目の復活は、同志が集った一九八三(昭和五十八)年の双海文化協会の発足時であった。同会は今日まで継承されている。
 高岸の三島神社と天一稲荷神社には会員の歌が奉納されている。
 太平洋戦争後は高度経済成長に伴い、経済の豊かさと生活の便利さを追求する、まさに物質優先の時代であった。しかし、昭和三十年代末になると、人々は物質的豊かさだけでなく心の豊かさと潤いを求めるようになり、本町でも文化への関心が高まりつつあった。
 その後、一九八三(昭和五十八)年三月に町民の生涯学習・芸術文化の鑑賞・手作り創作活動等を育てるとともに、文化団体相互の連絡協調を目的とした美術・文芸・芸能・生活文化の四部門からなる文化協会が設立された。また、初代会長には梶原忠弘が選任され現在に至っている。
 現在町内における芸術活動としては次のとおりである。

利久窯(備前焼)
 本郷の奥田敏久は、平成八年に利久庵を開店し、平成十年には大字高岸・三島神社裏に利久窯を築いた。春・秋二回の窯出しと同時に愛好者の指導にも当たっている。主体は手ひねりの作品で、魚形類、壷類であるが、ロクロでも花器類も製作している。

芸術館/アトリエ瀬戸内海工房
 彫刻家堀内健二は、平成元年に双海町上灘八景山に瀬戸内海文化発信の中心拠点になることをコンセプトに、芸術館/アトリエ瀬戸内海工房を設立した。芸術館/アトリエ瀬戸内海工房は、作品展覧会の場とアトリエを備えている。堀内は彫刻や壁画、オブジェの製作を行う傍ら、国際展に参加する若手芸術家の研修も積極的に行っている。