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双海町誌

第一節 概要

 民俗には人々の伝統的な生活文化があり、民間の伝承がある。人間には、食べたい・飲みたい・休みたい・物が欲しい・楽しみたい等々、様々な本能的欲求がある。その欲求から、衣食住のための品物や施設が生み出された。物をつくり出す活動はどんどん活発になっていき、できた品物を交易するための市場が発生した。また、そこへ往来するための交通が発達し、物々交換の不便さからお金が考え出された。このようにして人間の暮らしが営まれてきた。
 およそ人間ほど不思議な力をもっているものはないのではなかろうか。人間は進化すればするほど現状に満足せず、様々な方法を考え出し、自然を征服したり、また反対に自然に従ったりしながら行動してきた。

衣 と 食
 ものを食べることは、生存のための基本である。自分や、家族や共同体の仲間が飢えることなく生き延びていくため、人々はどういう食物をいつどこでどのように手に入れるか、そのためにはどんな道具や技術が必要かということを、最も重要な問題と位置づけて考え続けてきた。同時に、そうした活動を容易にするにはどういう衣服がふさわしいかを考え、やはり工夫に工夫を重ねてきた。また、日常の食物や衣類のほかに、吉事や祭事など特別な機会に供される食物や、祝いの日や他人との交際の場で身につける衣服も、だんだんと工夫されていった。


 衣食とともに大切なのは、寝起きする場所、つまり家である。人口の大部分が農耕や漁労などの生産に従事していた時代には、家はまた作業場でもあった。毎日の食事の支度のため、また暖をとり明かりをとるために、カマドやイロリが考えだされた。

共 同 体
 社会が複雑になるにつれて、人々は互いに協力して助け合うことを考え、村や集落を単位として、火事や地震などの災害や盗難を防止するための組織をつくるようになった。頼母子講や共同の土木作業のように実利を目的としたものから、神仏への祈りや祭事のような信仰にかかわることがらまで、リーダーを中心に仲間同士で連帯して行い、それを共同体の知恵として子や孫の世代に伝えていった。

産業・流通
 人々はまた、つくり出したものや手に入れたものを他の場所に運び、別のものと交換するようになった。ものを運ぶ運搬手段が工夫され、ものを交換する場所(市場)が設けられ、交換を公正に行うための計量器具(ます・はかり)がっくられた。更に、遠方との通信のために郵便が発達し、遠方の神社仏閣に参るために旅をする信者が増えてくると・宿屋・茶屋・宿場・馬や舟などの乗物が発達した。

宗教・儀礼
 昔の人々が神仏を畏れ尊んだ度合いは、現代の私たちの想像の及ぶところではない。自分たちの生活に思わしくないことがあると、神を粗末にしているからだと考え、熱心に祈祷を捧げた。稲が実るのは田の神様のおかげだと信じ、感謝の秋祭りを欠かさなかった。誕生・成人・結婚など、人生の節目節目には、必ず宗教儀式が行われた。
 個人の祝い事に関しては、家庭内か隣近所の範囲で祝宴を設けるのが普通だったが、集落をあげて、その年に成人するすべての若者を招いて儀式を行うような例も少なくなかった。一方、農事にかかわる儀式は、常に共同体の行事であり、神社を中心に氏子たちが総出で行うのが常識であり義務であった。
 信仰はまた、家や村を離れて旅の途上にある人たちにとっても、大切なものだった。もともと寺社の参拝を目的とした旅が多く、旅の安全を願って、道々の難所にはお大師様やお地蔵様が祭られていた。それらは現在も道祖神として各所に残っている。

伝承・娯楽
 テレビも雑誌もない時代の子どもたちにとって、炉端で語られる昔話や伝説は、貴重な娯楽であるとともに、自分が生まれる前の話や未経験の出来事を学ぶ数少ない機会でもあった。大人たちもまた、労働のときや祝儀のときにうたう民謡、祭りの日に催される競技や踊りなどを楽しんだ。
 双海地域にあっても、歴史が育てた特有の暮らしぶりが、文化遺産や生活資料、更に風習、伝統行事、言葉の伝承・痕跡として今日まで我々の生活に受け継がれている。日常の生活に必要とされる、技術的にあみだされた道具や生活様式もまた代々受け継がれてきた。
 文化とは、人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果であり、多種多様に現像化したものである。その古い技術・古い考え・古い言葉・古いしきたり・手法・作品・道具・乗り物と数えきれないほどの尊い歴史的遺産があり、その合理性が今日の生活を支えている。いいかえればその過程にはなみなみならぬ努力や苦労が秘められており、その苦境を乗り越えながら一段一段と階段を上るように積み重ねて今日の生活が築かれている。
 時代とともに生活は豊かになり、住宅の新築が進む中で生活民具や生産用具の貴重な文化遺産は姿を消しつつある。本町は七割が山間地帯の農村であり、目の前に広がる瀬戸内海を根拠に漁業が栄え、山間地の田畑を拓いて生活を支えたという厳しい条件下での生産活動を営んできた。
 その生産活動に用いる道具は、その地形が産み出したといえる特有のものが考案され、そこに先人の知恵がうかがわれる。
 一つひとつの民具には、それを使って生活を支えた人の愛情と技術の改善や発案、そして使い方の工夫によって生産能率を高めた足跡がある。進歩の道を切り拓いた先人に思いをめぐらせ、民俗すべてが今の世代とのかかわりの深いことを知ることで地域を愛し先祖に感謝の念を抱くことにつながっていくのではないだろうか。