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双海町誌

第一節 保健・衛生①

一 概   要
 明治の時代になっても一般住民の保健衛生概念は極めて低く、病気にかかっても、まじない・祈とうなどに依存する傾向にあった。
 当時、西洋医学の治療を受けられる者は特定の人たちだけで、一般の住民が受けられるのは、病気が長期に及ぶとき、又は重体のときに限られていたようである。
 当時はまた、多くの伝染病が発生した。当然、いったん伝染病が発生すると、患者の死亡率は高くなった。これらの伝染病に対処するため、一八九三(明治二十六)年に下灘村(串と石畳)に隔離病舎を新設した。また一九〇三(明治三十六)年には、上灘村にあった既設(三島と本郷)の隔離病舎を大字上灘安久寺に移転新築して設備の充実を期した。そして、両村とも衛生組合を設立して、衛生思想や衛生知識の普及に力を注いだ。その結果、強力な行政措置や警察の指示があったこともあり、近代衛生は徐々に住民に浸透していった。一九〇五(明治三十八)年・三十九年の両年に、上灘・下灘に再び赤痢が大発生したが、死亡者は僅少で、郷土誌には「隔離病舎は閉舎するを得たり」と記されている。このことからも、隔離病舎の整備がいかに重要であるかということの一端がうかがえる。
 明治時代の主な伝染病の発生は次のとおり。
・一八九五(明治二十八)年 コレラ流行(下灘村)
・一八九六(明治二十九)年 赤痢流行(上灘村)
・一九〇一(明治三十四)年 コレラ流行(上灘村)
・一九〇三(明治三十六)年 赤痢流行(下灘村)
 太平洋戦争の末期一九四四(昭和十九)年は赤痢が大流行し、多くの住民が疾病して、相等数が死亡した。翌二十年にも再流行した。当時占領軍政下で衛生関係が特に重視され、D・D・T等の殺虫剤が登場し、蝿や蚊の撲滅運動が実施された。
 一九六一(昭和三十六)年に伊予市で赤痢が集団発生し通勤等の関係で本町にもとび火した。このときは予防や治療医学等が進展していたので、保菌者を隔離はしたが発病はみなかった。
 そのほか疫痢・ジフテリア・日本脳炎等が散発したが、現在ではわずかに保菌者が散発する程度で死亡は皆無である。
 最近は伝染病に代わって、「成人病(生活習慣病)」や例年発生する「インフルエンザ」、及び「エイズ」「サーズ」「狂牛病」「鳥インフルエンザ」など、新たな「ウイルス」や「病原菌」が発生して問題となっている。本町は、定期の集団健診や健康相談などを実施して、「町民こぞっての元気な町づくり」をモットーに早期発見に努めている。


二 水道事業
 昔は川の水を井手やカケヒで家に配水したり、個人又は協同で井戸を利用して生活用水としていた。
 本町においては、昭和時代に入って順次簡易水道が普及したが、地形的な制限もあって小規模なものが多かった。一九六五(昭和四十)年代の半ばごろから灘町や豊田簡易水道が改良・新設されて、それぞれ約八五〇~九〇〇人の給水人口を持つに至った。また、二〇〇四(平成十六)年度には、新たな水源の確保と給水区域を拡張して安定給水を図るべき豊田簡易水道の整備に着手している。なお、二〇〇二(平成十四)年度末現在の双海町簡易水道の現況は、次のとおりである。
 本町の約半数が簡易水道未普及地域になるが、共同給水施設を持って生活用水を確保している。
 水道普及の現況は次のとおり。
 また、簡易水道未普及地域の整備計画は次のようになっている。


三 生活排水事業
 本町には下水道はなく、合併処理浄化槽の設置を奨励している。合併処理浄化槽とは、家庭から出るし尿と生活雑排水(台所・風呂・手洗い・洗濯機などからの排水)を併せて、公共下水道並みの高い能力で処理する浄化槽のことをいう。設置に当たっては、補助金制度が設けられている。
・補助金の対象
 BOD除去率九〇パーセント以上、放流水のBOD日間平均二〇ミリグラム/リットル以下の機能を有し、登録制度により登録された合併処理浄化槽を住宅に設置する費用(便所等の改造費や配管の設置費は対象外)。
・補助金額
 補助金額は、浄化槽を設置する住宅の床面積によって決まる。


四 ごみ処理事業
 双海町における家庭から出されたごみは、伊予市、松前町、双海町で設立した「伊予地区ごみ処理施設管理組合」の施設「伊予地区清掃センター」(昭和五十二年完成)で焼却処理されている。
 ごみの量は、同センターの業務開始のころと比較すると約二倍に増え、一日一人当たり八三二グラムに増加している(平成十三年度実績)。
 なお、平成九年度から十四年度までの排出量は次のとおりである。
 また、二〇〇一(平成十三)年四月から、ごみの出し方が変更となり、燃えるごみ・燃えないごみ・ペットボトルがそれぞれ分別回収されることになった。また、テレビ・エアコン・冷蔵庫・洗濯機・冷凍庫・パソコンに関しては、有料で処理されリサイクルされることとなった。


五 し尿処理事業
 一九六二(昭和三十七)年九月、大洲市、喜多郡四町により構成される「大洲・喜多衛生事務組合」が発足した。双海町は、一九七二(昭和四十七)年九月二十八日、中山町と共に加入。生活環境の改善が進んだ。一九八二(昭和五十七)年には広田村も加わった。
 二〇〇〇(平成十二)年三月には近代的な処理施設である「清流園」が現在地に改築され、し尿及び浄化槽にかかる汚泥に関する事務や、浄化槽清掃業の許可に関する事務をそれぞれの法に基づいて処理している。

六 斎   場
・聖浄苑の業務開始
 かつては、上灘地区と下灘地区に町営の斎場が存在したが、一九八二(昭和五十七)年七月、一部事務組合の規約の変更によって廃止することが決まった。新しい斎場である「聖浄苑」は、一九八三(昭和五十八)年五月、伊予市大平に広域斎場として竣工され、六月一日から供用を開始した。なお施設の規模は、火葬炉五基を有する敷地面積八五六三平方メートル、建築面積一三二七平方メートルの近代的な施設である。発足当時の組合傘下市町村は、伊予市、松前町、砥部町、双海町、中山町、広田村の一市四町一村である。


七 健康づくり活動・健康事業
 本町における健康づくり活動は、双海町保健栄養推進協議会が中心となって実施している。同協議会は「双海町健康づくり大会」「県民健康広場」「寝たきり防止シンポジウム」「リハビリ教室」などの開催を通じて、町民の健康への意識の啓発に努めている。
双海町保健栄養推進協議会
・設立年月日 一九九七(平成九)年五月一日
・目的
 会員相互の信頼と資質の向上に努め、食生活を中心とした実践活動を通じて地域の保健栄養の推進を図り、住民の健康づくりと福祉の向上に寄与すること。
・事業
 保健栄養に関するグループ活動の育成と推進、会員の研修、保健栄養に関する調査研究等
・構成
 本町内に在住し、本町の開催する栄養学級を修了した者、又は修了に準ずる者

双海町簡易水道現況

双海町簡易水道現況


水道普及の現況

水道普及の現況


水道未普及地域施設整備計画

水道未普及地域施設整備計画


補助金額の決定

補助金額の決定


浄化槽設置基数

浄化槽設置基数


一般廃棄物排出量

一般廃棄物排出量