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双海町誌

第二節 医療

一 地域医療体制の整備
 本町の医療機関としては、上灘地区に診療所が二か所・下灘地区に一か所である。また歯科医院は上灘地区に二か所ある。ちなみに、以前は診療所が上灘地区に二か所・下灘地区に一か所、歯科医院が上灘地区に二か所・下灘地区に一か所存在した。
 なお、現在の医療機関は次のとおりである。
 梶原医院
・所在地  双海町大字上灘甲五七八三番地
・医師名  梶原 忠弘  梶原 喜三
・看護師等 正看護師 一人  准看護師 一人 栄養士 一人  事務員 二人
・医療内容 内科・外科
・開業年  昭和三十九年
・学校医  上灘地区(上灘中・翠小・由並小・上灘保)

 下灘診療所
・所在地  双海町大字串   甲五七八三番地
・医師名  諸橋 正仁
・看護師等 正看護師 二人
・医療内容 往診を含めた地域医療
・開業年  平成五年
・学校医  下灘地区(下灘中・下灘小・下灘保)

 宮田歯科医院
・所在地  双海町大字上灘甲五四四六番地一
・医師名  宮田 晃生  宮田 直諭  宮田 大司
・看護師等 准看護師 一人  助手 一人
・医療内容 一般歯科
・開業年  昭和四十五年
・学校医  下灘地区(下灘中・下灘小・下灘保)

 二宮歯科医院
・所在地  双海町大字上灘甲五六九〇番地
・医師名  二宮 順二
・看護師等 助手 一人
・医療内容 一般歯科
・開業年  昭和六十一年
・学校医  上灘地区(上灘中・翠小・由並小・上灘保)

 一方、緊急医療の場合には、伊予地区消防等事務組合双海出張所が設置されて救急車の対応で、広域の地域医療体制が確立されつつある。
 また、かつては出産する際には、自分の家で「産湯」を使って 「産婆さん」と呼ばれる助産師による出産がほとんどであったが、 一九五五(昭和三十)年ごろから松山などの産婦人科での出産が多くなり、現在では「産婆さん」の姿はみられなくなった。『産婆さん』が自転車で出産現場に向かった姿が懐かしく感じられる時代となった。
 また、医療体制とは直接関係はないが、少子高齢化時代となり、出産そのものも減少してきた。


二 老人医療費の無料化
 高度経済成長期は、高齢者の保健福祉の各種施策の充実が図られた時代であった。その一つとして、一九七三(昭和四十八)年から、七〇歳以上の高齢者を対象に、医療保険の自己負担分を公費によって負担する制度(老人医療の無料化)が実施された。
 しかしながら、この制度は、老人の負担を軽減した一方で、老人医療費の急激な増大をもたらした。これが、制度上高齢者を多く抱える国民健康保険を直撃して、財政悪化を引き起こしてしまった。
 このため、一九八二(昭和五十七)年に老人保健法が制定され、各医療保険制度間の負担の公平化を目指す観点から、各制度が老人医療費を賄うための拠出を行うこととなり、老人医療費について、一定額を受給者本人が再び自己負担することとなった。


三 国民健康保険
 一九五八(昭和三十三)年に始まった国民健康保険事業は、幾多の変遷を経て、現在も、我々加入者が納める保険税や国などの補助金によって運営されている。
 国民健康保険は、職場の健康保険に加入している者と、生活保護を受けている者以外は必ず加入しなければならない。
 [手続きと医療費の仕組み]
・加入者(被保険者)…加入手続きをして役場へ保険料を納付
・役場…保険証の交付
・加入者…医療機関で受診した時点で一部医療費の支払
・医療機関…県国保連合会へ医療費を請求
・国保連合会…町へ医療費の審査結果を連絡後医療機関へ医療費の支払
・役場…国保連合会へ医療費を支払
[加入するとき]
・他の市町村からの転入時
・職場の健康保険をやめたとき
・出生時
[やめるとき]
・他の市町村への転出時
・職場の健康保険に加入
・死亡時