データベース『えひめの記憶』
追刊 中山町誌
第二節 広報活動の状況
(一) 区長会と行政
現在までの歴代中山町区長会長を掲げると次のとおりである。
(初代会長は昭和六〇年七月二〇日から就任)
昭和六〇年度 初代会長 上岡 哲男(豊岡二)
″六一年度 二代会長 森岡 薫明(門 前)
″六二年度 三代会長 藤岡 輝雄(泉町三)
″六三年度 四代″ 峯本 政幸(泉町四)
平成 元年度 五代″ 大松 義一(豊岡二)
″ 二年度 六代″ 坂口 行利(下長沢)
″ 三年度 七代″ 宮田 尚(榎 峠)
″ 四年度 八代″ 同
″ 五年度 九代″ 中岡 久志(福 岡)
″ 六年度 一〇代″ 山岡 赳(大 矢)
″ 七年度 一一代″ 石山 貞義(永 木)
″ 八年度 一二代″ 武田 和視(中 山)
″ 九年度 一三代″ 亀岡 勉(出 渕)
″ 一〇年度 一四代″ 佐々木 正(佐礼谷)
″ 一一年度 一五代″ 仙波 定雄(野 中)
″ 一二年度 一六代″ 安部 實雄(永 木)
″ 一三年度 一七代″ 保里 敏久(中 山)
入岡 清 ( ″ )
″ 一四年度 一八代″ 井手窪 理(出 渕)
″ ー五年度 一九代″ 福岡 勇(佐礼谷)
″ 一六年度 二〇代″ 美濃 定義(出 淵)
(二) 「広報なかやま」
広報なかやまは、平成一四年七月で第四〇〇号を数える。昭和三四年に故宮田真實元町長の発案により第一号が発行されてから、四三年二ヵ月という歳月が流れた。
広報と名付けられたのは、昭和六〇年四月からのことで、第一号から第二〇七号までは「公民館報」として教育委員会の管轄で編集された。四〇〇号からは情報政策課の管轄となった。
大きさもB4両面から、昭和六〇年にはB5判、平成五年にA4判と変わって行った。
また愛媛県市町村広報コンクールにおいて、平成五、六年には入賞、平成七年から同九年にかけて三年連続で特選に選ばれ、五年連続入賞の栄光に輝いた。
(三) 災行政無線 中山町誌参照
(四) お茶の間懇談会
県主催のお茶の間懇談会から地域懇談会に名称変更し、地方局単位に開催された。
松山地方局県民生活課資料によると、平成一三年一一月一五日に永木地区で開催され、一七名が参加、一七件の要望等がだされた。
県道の二車線化等道路改良の要望が五件、大気汚染一件、河川工事について一件、福祉について二件、後継者問題一件、IT講習会について一件、生活保護についてなど多方面の要望等に回答が行われた。
平成一四年一〇月二四日には、佐礼谷地域で開催され、住民代表二一名が参加し、一〇件の要望等が語られた。
山村地域をいかに守っていくかなど、地域の基盤整備についてなど抽象的な要望から、地域活性化のための定住措置として、松山への通勤がスムースになるように五六号線の四車線化の早期実現、光ファイバーの件、中山間直接支払制度の今後についてなどの質疑に地方局各課長等から回答が行われた。
(五) IT推進と電子自治体への変遷
中山町は、平成八年頃より議会をはじめ、町民の情報技術への関心度が高まった。
その後、国の推進する「E―ジャパン戦略」構想に基づく国民皆インターネット、ブロードバンド推進構想が大きく浮上して、引いては「電子自治体」へ向かっての準備を進めてきた。
近隣市町村とともに、市町村合併推進と併せて、町内の公共施設の接続と庁内ラン整備、職員一人当たり、一台配布を実施し、町職員へのパソコン導入による技術普及の高揚に努めてきた。
平成一七年四月一日より新市「伊予市」の誕生とともに、四万市民の行政サービスの維持、高揚を図るよう整備を進めている。