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久万町誌

第一章 町の概観

 愛媛県の中南部、上浮穴郡の北西に位する久万町は、四国山地に囲まれた東経一三二度五五分、北緯三三度四一分にあり、標高四〇〇㍍~八〇〇㍍の高原の町である。
 現在の久万町の中心部は昔の久万町村で、大宝寺の門前町・土佐街道の宿場町として発達したが、明治二二年の町村制で、上野尻・下野尻を合わせて村制をしき、三四年に久万町となった。大正一三年二月に菅生村、昭和一八年九月に明神村を合わせ、昭和二八年にはじまる町村合併の動きの中で、三四年に川瀬村、父二峰村と美川村槙谷を合併し、面積一五六・一平方㌔㍍と県内町村でも三番目に広い面積を有するに至った。しかし、合併当時、人口一四九七九人、世帯数三二六〇戸であったものが、近年の激しい過疎化に伴い、現在では人口八四九三人、世帯数三〇一六戸(昭和六二年三月)となっている。
 久万町の形状は、ほぼ長方形で三連の山脈が町内を南北に走り、久万・畑野川・直瀬・父二峰の四盆地に分けられる。
 この盆地を流れる四つの川はともに仁淀川の上流をなしていて、山村にしては耕地の占める割合が比較的大きい。更にこの耕地は畑よりも田の面積の方が広く一部平坦なところもあるがほとんど北東から南西に向かって傾斜し、地味はおおむね肥沃であり、上浮穴郡の穀倉とも呼ばれる。
 久万町は、周囲を山に囲まれていて、北は温泉郡・北西は松山市・西は伊予郡・南西は小田町・南東は美川村・北東は面河村に接し、上浮穴郡の産業・経済・文化・交通の中心地である。例えば愛媛県松山地方局久万出張所・愛媛県農業試験場久万試験地・上浮穴高等学校・久万警察署・上浮穴郡町村会・松山地方法務局久万出張所・農政局愛媛統計情報事務所久万出張所・愛媛食糧事務所久万分室・NTT久万電報電話局・伊予銀行・愛媛信用金庫・愛媛銀行の各支店などがある。
 また交通面では、JR久万駅・伊予鉄久万出張所があり、ここから発着するバスによって郡内各地を結んでいる。更に町内を縦断する国道三三号線によって、久万~松山間三五・六㌔㍍を一時間足らず、久万~高知間八四・五㌔㍍を二時間余りで結び、松山への通学・通勤者も年々増え、松山市の衛星町・近郊町としての役割を強めている。また旧道を中心に発展していた商店街も新道側へと移転し、新興商店の進出と相まって町の形も大きく変わってきている。
 この久万町の主産業は農林業であるが、ここ二〇数年、第一次産業は人きく後退してきた。耕地面積は昭和四○年に一、一二〇㌶であったものが昭和六〇年には八四三㌶と二七%減少し、その間農家戸数も一九一七戸から一三三四戸と六九%の残存となっている。
 昭和四○年以降、水田のほ場整備に重点投資が継続され、四五年に米の過剰問題を契機に、夏秋トマトを中心とする高原野菜の主産地つくりが農協と町の一体的指導でめざましい進展をみせ、銘柄産地への地位を固めてきた。
 また、直瀬地区に昭和四○年に創設された県経済連の和牛育成場には、既に一〇〇〇頭を越える和牛の飼育がなされ、最新のバイオテクノロジーの技術による繁殖実験の成功など、自由化で厳しい畜産に大きな光明を与えている。
 林業については、合併以来「林業主産地形成」に向けて官民あげて全力で当たってきており、政府の発刊する「林業白書」にも久万林業の名がでるまでになっている。上浮穴郡は、気温・降水量ともに森林生育に最適の条件にあり、すばらしい林相とはだの美しい丸太の生育に恵まれている。しかし近年に至り、外材の進出、住宅建設の停滞と木造率の低下による木林需要の減少、木材価格の低迷など極めて厳しい状況となり、流通の再編成、需要の拡大に向けて新しい運動を展開している。町と森林組合・製材業界一体となっての製材品流通懇話会の東京市場への流通、規格統一・公共建物の木造化運動による畑野川小学校校舎、町立久万美術館の建設等がある。また、県林業試験場の久万町移転も公表され、新しいバイオテクノロジー技術の開発や応用、木材・林産の付加価値高度化の加工技術研究など、将来に大きな夢を抱かせている。
 昭和三六年三月、本町が発行した「新町建設計画書」によると、久万町の基本的構想として
 ① 土地利用の高度化
 ② 産業の振興
 ③ 交通網の整備
 ④ 教育・文化の向上と厚生施設の充実
などをあげ、それを手直ししながら諸施策を推進している。
 更に、久万町は四国の軽井沢とも呼ばれ、その自然景観は四季の変化に富み、夏は避暑地、秋は紅葉、冬はスキー、春は新緑の地として観光資源の開発が進んでいる。
 特に、文部省指定の名勝古岩屋は、雄大な奇岩が並びたち、春の桜、秋の紅葉とよく調和してみごとな景観を呈している。その中にある国民宿舎「古岩屋荘」は、良質の温泉を引湯、テニスコートやクロッケー場等諸施設も整備され、スキー客やゴルフ客、四国霊場巡りや観光客の拠点として年間を通して利用軒が多い。
 また、三坂峠は本町の玄関口にあたり、海抜七二〇㍍、眼下に展開する道後平野や瀬戸内海、遠くは中国山脈を遠望することができる。国道三三号線の休憩地として、また夏は涼風を求めて訪れる観光客でにぎわってる。
 笛ケ滝公園は。町の南方にあり、池を前にして丘陵を背とするゆるやかな南面の高原である。冬期にはスキー場となり、春から秋にかけては散歩地として、またキャンプ、スポーツの場所として利用され、町民の憩いの場としても親しまれている。
 四国八八ヵ所の四四番札所菅生山大宝寺は、大宝元年に百済国の聖僧が、十一面観音を奉持して菅生山の霊地に草庵を作ったのがはじまりであると伝えられている。境内にある樹齢三五○年以上の桧林や、うっそうと茂る老杉の参道は実に奥ゆかしい。毎年三月二一日は大宝寺の縁日であり、四五番札所岩屋寺の縁日と相まって、各地からの参拝者でにぎわう。
 更に、スキーランド・ゴルフ場・運動公園など地域の自然を生かした健全なスポーツ施設も整備され、都巾化の流れと余暇の増大にともなう農村空間の再開発構想による自然休養村・家族旅行村計画など県下に先がけて導入し、観光農園などを目玉として、ファミリーリェクレーションの要請に応える都市と農村の交流場つくり等。全国の注目を集めるところとなっている。

久万町全図

久万町全図


経営別耕地面積

経営別耕地面積


産業就業人口の割合

産業就業人口の割合